チーム初のポジションの「クビ」が言い渡されたのは9月初旬の大学野球部との練習試合でした。二桁のフォアボールや牽制ミスなど、先発の小川が大乱調。監督・コーチが「俺たちがいても意味がない」と途中で帰ってしまいそうになるくらいの内容の悪さに、試合後告げられたのは「お前はピッチャーやらんでいい」の一言。その日以来1ヵ月以上、小川はマウンドには立たせてもらっていません。
(写真:エースナンバーがマウンドに帰ってくるのはいつ!?)
 たったふたりしかピッチャーがいない上に、もうひとりのピッチャーは私用でしばらく活動に参加できないと連絡があったばかりでした。小川がクビになったことで我チームのピッチャーはゼロになりました。それから行われた3試合はいずれも内野手が先発で、継投が必要な試合は、外野手が登板しました。練習でもブルペンで投げ込みをしているのは新井と藤岡のみです。その間も小川はほかの野手と一緒に外野を守り、バッティング練習をする日々が続きました。

 ふてくされてもいいような状況の中、センターを守る小川は、もともとムードメーカー的な存在なので、野手の中で一番目立っていると言うくらいのはりきりぶり。日南学園高、大東文化大とピッチャーに専念していたことから、バッティンググローブを所持するのが中学生以来だと言っていましたが、バッティングも絶好調。たった1ヵ月でほかの野手を食う勢いです。

 そして、ピッチャーをクビになってから2ヶ月がたとうとしている9月22日の練習試合で、小川の新境地が開かれました。
 先発メンバーを考えていた安藤コーチが、にやっと笑いながら言ったのは、「1番センター小川ってどう?」。
 この試合の日は参加人数が少なく、ベストオーダーが組める状況ではないといえども、あまりのびっくり起用です。
 ところが小川の起用は大当たり! 2安打を放ち、意外に足が速く盗塁を決めるなど、めったに褒めないコーチが「よく打ったなぁ〜」と褒めるくらいの働きでした。新・きりこみ隊長の誕生です。

 9月29日の公式戦でも、小川は1番で起用されました。野手としての働きが良く、ピッチャーに戻すのがもったいないと思わせる状況になってしまっていますが、ふてくされないでこれだけの全力プレーを見せていれば、「ピッチャーに戻してもいいかな」と監督・コーチに思わせる日も、そう遠くはない気がします。

 1日も早くマウンドにエースナンバー「18」が戻ってきて欲しいと思います。

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広瀬明佳(ひろせ・さやか)
福島県郡山市出身。母がソフトボール、兄が野球をやっていたことから中学・高校時代ソフトボール部に所属。大学時代軟式野球サークル。前職での仕事をきっかけに初めて硬式野球の道へ。現在、埼玉県内の硬式野球クラブチームに所属。チームの紅一点として奮闘中!

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