元WBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重(大橋)が9月5日、横浜文化体育館で同級3位のアディ・ウィグナ(インドネシア)と対戦し3−0の判定で勝利、再起2戦目を飾った。川嶋は今年1月、王座奪還を懸けたミハレス戦でTKO負け。一時は引退も考えたが6月に再起戦で白星を飾り、今回の勝利で来年1月の世界再挑戦が濃厚となった。
 大橋ジム会長の元WBA・WBC世界ストロー級(現・ミニマム級)王者・大橋秀行氏が、愛弟子・川嶋のミハレス戦までの道のりについて語った。(前編)

※3月に終了した「週刊シミズオクトスポーツ」にて06年8月〜07年3月、不定期連載でお届けした「キーマンの告白 〜陰の立役者たち〜」の再録です。
 06年9月18日、パシフィコ横浜で行われた世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級暫定王座決定戦。前王者で同級2位の川嶋勝重(大橋ジム)が同級4位のクリスチャン・ミハレス(メキシコ)と対戦、2Rにダウンを奪うものの1―2という僅差の判定で敗れ、昨年7月に徳山昌守(金沢)戦で失ったベルトの奪還はならなかった。試合後、川嶋は「10Rからは死んでもいいと思って打ち合った。これで引退。試合前から決めていた。ボクシングのおかげで人生が充実した」と引退を表明した。
現役時代は“150年に一人の天才”といわれた元WBA・WBC世界ストロー級(現・ミニマム級)王者・大橋秀行会長が、愛弟子の川嶋について語った――。

 勝負の分かれ目は2R

 ミハレス戦は判定1−2で敗れ、川嶋の王座奪還の夢は惜しくも叶いませんでした。
 今のボクシングの採点方式は、ラウンド毎に必ず優劣をつけなければいけない。亀田×ランダエタ戦でも論議を呼んだように、ジャッジ間でも判定基準が大きく異なる場合もあります。今回の試合、ダメージのない軽いパンチをどんどん出すのと、強いパンチ、どっちを取るか。見方によっては勝ちでもいいと思ったが、引き分けでもおかしくないし、負けてもおかしくない。12Rを終えたときには3つの可能性があるな、と感じました。

 結果的に僅差の判定負け。2R、得意の右フックでダウンを奪いましたが、あそこで詰めきれなかったのが勝負の分かれ目になったと思います。相手も効いていましたから、フェイントを入れるなり、小さいパンチを使って確実にいければ、倒せたかもしれない。しかし、全てのパンチが大振りになってしまった。相手は余裕でかわしていましたね。やはりあそこで、センスがある人間と努力で這い上がってきた人間の差が出たかな、と。勝負どころを瞬時に読むセンスが川嶋にあれば、と強く感じた試合でしたね。
(写真:ミハレス戦では2Rにダウンを奪うも川嶋の王座奪還はならなかった)

 実は、川嶋の調子は最悪でした。夏の疲れが残っていて、スパーリングでも全然ダメだった。でも彼は本番になればいつもすごい試合を見せてくれる。今回もそれに期待していました。6Rからはスタミナが切れて、腕が上がっていなかった。終盤は「死んでもいいと思った」と言っていましたが、気持ちだけで戦っていましたね。川嶋らしい、素晴らしい戦いを見せてくれたと思います。

 ボクシングセンスはゼロ

 川嶋がジムに入門したのは95年。彼の地元の同級生がうちでボクシングをやっていてプロデビューを果たしたんです。その影響を受けて「自分もプロボクサーになりたい」と、勤めていた会社を辞めて、入ってきました。
 当時、川嶋は21歳。僕らにとっては、その年齢からボクシングでプロを目指すなんて、有り得ない。特に世界チャンピオンになるような人間は、早い時期から始めるのが常識でした。せっかく大手の企業に勤めていたのにそこを辞めてまで入ってくるなんて、正直「困ったヤツが来たな」と。ただジムに入門しても、1週間くらいで辞めていくヤツはけっこう多いんです。彼の場合も、ちょっとやっていれば辞めていくだろう、くらいに思っていました。

 彼が初めてジムに来た日のことは、よく覚えています。僕が1から教えましたから。まず鏡の前に立たせて、構えを覚えさせて、シャドーボクシングをさせて…。高校時代は野球部だったというから少しは期待をしたんですが、ボクシングセンスはゼロ。「1週間コースかな」。それが、川嶋に対する第一印象でしたね。

 ただ、練習への集中力はすごかった。入門後、来る日も来る日も、誰よりも真面目に練習していました。この集中力があれば、ボクシング以外で役に立つんじゃないかと思って、本人にも「(ボクシング以外の分野で)大物になれるよ」と言ったこともあります。
 スパーリングではボコボコにやられるし、過呼吸を起こして具合が悪くなったりする。そういう姿を見ているから、「プロテストを受けたい」と申し出てきても「お前じゃ、危ないからダメだ」と断っていました。でもあまりしつこいから、アマチュアの試合に出て勝ったら受けさせてやる、と。そうしたらその試合でKO勝ちをした。けっこう強いのかもしれないと、プロテストを受けることを許可しました。それが入門して2年目の冬でしたね。
 プロテストは無事に合格。しかしその前にジムで5戦5敗という4回戦ボクサーとスパーリングをやらせたら、そこでもボコボコにやられていました。
練習では弱いのに、本番にはなぜか強かった。97年2月のデビュー戦でKO勝ち。その年の全日本新人王トーナメントに出場させたら、あれよあれよという間に決勝まで勝ち進んでしまった。決勝戦は判定で負けましたけど、そこまでいくとは思わなかったので驚きました。

 プロにもなれないと思っていた人間が…

 彼はすごく優しい人間なんです。スパーリングでも、同じジムの仲間だと打てない。無意識のうちに遠慮してしまうのだと思います。だから、練習と試合では全然違いましたね。精神力はとにかく強かった。それは入門した頃から変わらないですね。
 ボクシングの素質はありませんでしたから、「もう無理だよ。危ないから辞めろ」と言ったことは何度もあります。今まで世界チャンピオンになった人間を何人も見てきましたが、やはりチャンピオンになる人間というのは人とは違うものを持っているものなんです。ジムにも川嶋よりセンスがあって強い選手はたくさんいたし、そういう選手たちが試合に出てもなかなか勝てなかった。そんなボクサーをたくさん見ているから、川嶋はこのまま続けても無理だと思っていました。

 02年4月、佐々木真吾(木更津グリーンベイ)に勝って日本タイトルを獲得して、その後、防衛戦にも勝った。プロにもなれないと思っていた人間が、日本チャンピオンにまでなった。これは、タイミングと運さえあれば、世界チャンピオンもいけるかもしれない…。もしかしたら、と可能性を感じたのはその頃ですね。

(続く)

大橋秀行(おおはし・ひでゆき)プロフィール
1965年生まれ、神奈川県出身。現役時代はヨネクラジム所属。戦績は24戦19勝(12KO)5敗。1985年にデビューし、1RKO勝ち。「150年に一度の天才」といわれ、軽量級ばなれした強打者ぶりを発揮した。デビュー7戦目での世界挑戦には失敗するが、その後WBCとWBAのストロー級王座に1度ずつ就く。現役引退後、横浜に「大橋ボクシングジム」を開設。元WBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重を育てた。
(写真:中央が大橋会長。川嶋は教え子として初の世界チャンピオン。右は松本好二トレーナー)

(構成 松田珠子)