ちょっと前の話になるが、早大の優勝に終わった大学野球選手権を見に行った。佑ちゃん目当てのマダムに負けず、早起きしてバックネット裏の席に陣取る。準決勝、制球が不安定ながら5回1失点と試合を作った斎藤のピッチングはさすがの一言。今後が楽しみな大学生もチェックでき、大満足の一日……のはずだった。
 ところがである。当日は梅雨とは思えないピーカン。さんさんと降り注ぐ紫外線にむき出しの腕をやられた。日ごろ、陽に当たっていない不健康な自分の白い腕は瞬く間に真っ赤になった(そして数日後、皮がズル剥けになったのは言うまでもない)。
 もう1つは目だ。白いノートにスコアをつけながら試合を見ていると、反射した光で目がチカチカしてきた。

「これじゃ、本当の目玉焼きができそうだね」
 くだらない冗談を飛ばしている場合ではない。そうだ、夏に向けてサングラスを1つ買っておこう。思い立ったが吉日である。ちょうど神宮球場近くに前から気になっていたメガネ屋があった。元の感覚を取り戻し始めた目で品定め。1時間後、買ったばかりのサングラスをかけ、表参道を夕日に向かって歩く。まぶしくない。これでよかった、よかった……。

 事態が一変したのは帰宅してからである。改めて部屋の中でサングラスをかけ、鏡を見てみた。
 ん?
 ためしにそばにあったギターを抱え、ジャカジャカ弾いてみた。
 まさか?
 最後に「自由だーー!」と叫んでみた。
 
 そうだ。自分で言うのもなんだが、サングラスをかけた姿が『エンタの神様』に出ている謎のブルースシンガーみたいなのだ。これで表参道を闊歩していた自分が急に恥ずかしくなった。多摩川の土手を散歩しているんじゃあるまいし。残念ながら、このサングラスは宴会芸でもやる機会がない限り、ケースの中で一生冬眠となるだろう。

 中学校でガクンと視力が下がり、メガネとの付き合いは10年以上になる。いろんなメガネを使ってみたが、ピタッと自分にハマったものは未だにない。人からもいろいろ突っ込まれたものだ。あるときは少年探偵コナンのようだとも、またあるときはケント・デリカットのようだとも(笑)。

 ここまでくれば、問題は顔が悪いか、センスが悪いかのどちらかだろう(笑)。顔が悪いのはどうしようもないが、センスの悪さはどうにかしたい。そう、今、自分になにより必要なのは“センス”という名のメガネなのだ。

 これは単にメガネや服のセンスにとどまらない。時勢に流されず、事の本質を見抜くセンス。誰もが注目するハンカチ王子やハニカミ王子とは違う、○○王子(もちろん○○オヤジでも○○姫でもよい)を発見するセンス……。どれをとっても自分にはまだまだ足りない。

 各界の第一線で活躍している人をみると、1つの動き、1つの言葉にセンスを感じる。センスはひとりひとりのオーダーメイド。使う材料や工具も人それぞれだ。どんなにメガネを買い替えても、残念ながら“センス”というメガネだけは買うことができない。作るしかないのだ。自らの手で。 

(H.I.) 
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