商売柄、時折、スポーツ選手のHPやブログをのぞく。これは読んでいて胸がジンとした。北京五輪柔道男子100キロ級代表・鈴木桂治の「絆」というブログだ。

 一部を抜粋してみよう。<オレは康生先輩が大好きです。オレを強くしてくれました。常に康生先輩の背中を見て「いつか抜く、抜かなければならないんだ!」って、いうオレの目標の先輩でした。(中略)オレは井上時代の1人ですが、康生先輩と戦えたこと、康生先輩に勝つって気持ちを無くさなかったこと、本当に光栄に思います。気持ち悪いけど、こんな気持ちにさせてくれた柔道家は康生先輩しかいません>(5月2日)。井上康生が引退を正式発表した直後に書かれたものだ。

 井上康生vs.鈴木桂治。彼らの戦いは、その全てが緊迫の色に染められていた。まさに剣豪同士の果し合い。康生の個人連勝記録を40でストップした桂治の電光石火の出足払い(03年4月、選抜体重別選手権)、桂治の体が宙に舞った康生の芸術的な内股(03年4月、全日本選手権)、桂治が「生涯最高の試合」と言ってはばからない妥協なき組み手(04年4月、全日本選手権)――。どれもが平成の名勝負である。

 井上康生とは何者だったのか。過日、桂治にじっくりと話を聞く機会があった。「比喩ではなく、本当に互いが剣を持ち、斬り結ぶという気持ちで勝負に臨んでいたと思います。だから正直言うと、やっていて怖かった。ドキドキしていました。ひとつタイミングが狂って、内に入られたら、もう投げられている。でも同じようにこっちにもチャンスがある。あんな緊張感のある勝負ができたのは康生先輩だけでした」

 スポーツ選手にとって最高の幸せとは何か。それは人生を賭けるに値するライバルを持つことだろう。モハメド・アリにはジョー・フレイジャーがいたように、アイルトン・セナにはアラン・プロストがいたように、長嶋茂雄には村山実がいたように、大鵬には柏戸がいたように、山下泰裕には斉藤仁がいたように、鈴木桂治には井上康生がいた。そして井上康生には鈴木桂治がいた。

 桂治は国際試合に限っては北京五輪をひとつの区切りにしたいと考えている。プロのヤジ馬として、ひとつの時代の終わりをしかと見届けたい。

<この原稿は08年5月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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