1971年10月31日、28歳の決して若くはないボクサーに世界挑戦(スーパーウェルター級)のチャンスが訪れた。チャレンジャーの名前は輪島功一。日雇い労働者から身を起こした苦労人だ。

 輪島には深刻なハンディキャップがあった。同じ階級の他のボクサーと比べて、リーチが手首ひとつ分短いのだ。同時にブローを繰り出した場合、被弾するのは輪島だ。そこで苦労人は一計を案じる。短いリーチを補うため、奇想天外な技を身につけたのだ。それが世にいう“カエル跳び”である。

 チャンピオンはローマ五輪の銀メダリスト、カルメロ・ボッシ。イタリアの英雄だ。アマチュア出身のエリートとノンキャリアの苦労人。「輪島には万に一つもチャンスはない」と酷評された。

 4ラウンドまでボッシはほとんど手を出さなかった。無名な日本人チャレンジャーを警戒したのではない。彼には次の試合が決まっており、ケガをしたくなかったのだ。

 そして迎えた5ラウンド、輪島は驚くべき作戦に打って出る。まるでカエルが木にでも飛びつくようにジャンプし、強引に左フックを叩きつけたのだ。練習に練習を重ねた“カエル跳び”である。

 振り返って輪島は語る。「さすがにこれには相手も怒ったねぇ。顔が紅潮していく様子がはっきりわかったよ。あれでペースが変わったんだ」

 僅差の判定勝ち。日本人として初の重量級タイトル奪取。その夜のことを輪島は今でも忘れることができない。
「普通、あれだけの試合をしたら、ぐっすり眠れるはずなのに全く眠れない。というより段々と目がさめていくんだ。あれは不思議な体験だったねぇ……」
 そして、しみじみと続けた。
「奇跡って起きるものではなく、起こすものなんだよね」


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