アスリートにとって欠かせない「水」と「酸素」。スポーツ時の酸素摂取は通常の5〜10倍の量が必要というデータがある。運動能力を高めるためには最大酸素摂取量を引き上げ、酸素を身体の隅々まで供給することが大切だ。
 カナダの水に10倍の酸素を充填させた日本食研の「酸素プラス」をさまざまな分野で活躍するアスリートに試してもらった。
(写真:車椅子バスケットボール日本代表の京谷和幸選手)

・商品名:「酸素プラス」
・販売元:日本食研株式会社
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 激しいぶつかり合い、スピード感あふれる迫力のプレーから「コート上の格闘技」とも表現される車椅子バスケットボールは、パラリンピックの花形競技の一つだ。
 北京パラリンピック車椅子バスケットボール日本代表の京谷和幸(千葉ホークス)。かつてはサッカー選手としてジェフ市原(現・千葉)のMFとして活躍。93年、交通事故で下半身が麻痺し車椅子生活となった。その後、車椅子バスケットボールに出会い、不屈の精神と地道な努力で、日本代表入りを果たした。
シドニー、アテネに続く3度目のパラリンピックとなる北京では、日本選手団の主将という大役も務める。所属チーム、そして日本代表チームの司令塔、さらには精神的支柱としてなくてはならない存在だ。

 日中は会社員として総合広告代理店に勤務し、仕事後、週に4日間は所属する千葉ホークスでの練習を行っている。
 そんな京谷の1日は、コップ1杯の水を飲むことから始まる。会社では、デスクワークが中心。ほとんど体を動かすことはないが、午前中のうちに500ミリリットルのペットボトル1本の水は飲み切る。さらに、午後、勤務終了後までの間には、1リットルの水を飲むという。
「仕事中はほとんど動かないので、代謝や体内の循環をよくするためにもこまめに水を飲むようにしています。喉が渇いたから、というのではなく、『とりあえず、飲んでおけ』と。そうすると、汗もかきやすくなりますよ。水分を摂るか摂らないかで汗の臭いも違う。僕らは障害がある分、膀胱炎などの泌尿器系の病気になりやすいんです。体の中に老廃物を溜めないように、身体をあまり動かさないときほど、意識して水を飲んでいますね」
 そう京谷は説明する。普段から水をたくさん飲んでいるせいか、車椅子生活になって以来、大きい病気とは無縁だという。
 練習時となると、当然、さらに多くの水を摂取する。練習の際に持参する1.5リットルと2リットルのペットボトルの水がすべて空になることもあるという。
 飲むものは、もっぱら水だ。「スポーツ飲料のように味のあるものだと、喉に残って嫌なんです。水が1番いいですね」。
 そんな京谷にも、日本食研の酸素プラスを試してもらった。
「あまりこだわりはないですけど、硬いものよりもやわらかい水が好きです。この水は口あたりがやわらかくて飲みやすい。夏の代表合宿でも、この水を飲んでみます」

 車椅子バスケットボールと出会い、初めて日本代表入りを果たすまでの4年間の道のりは、決して平坦ではなかった。この競技にに真剣に取り組み始めたころ、日本代表に入るためには何をすべきか、(代表チームの一員として)生き残るには何が必要か、と考えた京谷は、車椅子操作やディフェンスという「普通ならみんながやりたがらないこと」に重点を置いて取り組んだ。その時期が、車椅子バスケットボールプレーヤーとしての京谷の基盤をゆるぎないものにしたといえるだろう。
 シドニーパラリンピックでは「ディフェンスのスペシャリスト」として活躍。その後、シュートに意識を切り替え、アテネパラリンピック後には、シュートの打ち込みに取り組んだ。
「技術的な面でいえば、シュート率がアップしたし、スピードも上がりました。年齢を重ねると落ちるところが、上がっているという実感がある。それはやはり、始めたころにみんなが普通だったら嫌がることを頑張ったからだと思う。今、練習がすごく楽しいですよ」

 車椅子バスケットボール日本男子のパラリンピックでの過去の成績は、シドニーで9位、アテネで8位。北京での目標は「メダル獲得」だ。
「シドニーのときもアテネのときも、『メダルが目標』と口にはしていたけど、正直厳しいかな、というレベルだった。でもここまで世界と戦ってきて、あと少し頑張ればメダルに手が届く位置まで来ているという実感があります」
 そう話す京谷にとって3度目のパラリンピックに挑む心境は、今までとは少し異なるようだ。
「アテネのときには、自分がどれだけ世界に通用するか、そればかり考えていた。ある程度、通用することは分かったが、日本チームとしてはまだまだ世界で認められていない。アテネは、どちらかというと自分のために戦った。でも北京では、チームのために全力を尽くしたいですね」
 車椅子バスケットを始めた頃から「10年先を見てやってきた」京谷にとって、北京パラリンピックの位置づけは「京谷和幸というプレーヤーの集大成の場」だという。
 悲願のメダル獲得に向け、頼れる司令塔の熱いプレーに注目したい。



京谷和幸(きょうや・かずゆき)
1971年8月13日、北海道出身。89年室蘭大谷高校から90年古河電気工業(株)に入社。バルセロナ五輪の候補にも選ばれ、91年にジェフ市原(現・千葉)とプロ契約。93年Jリーグ開幕半年後に、交通事故により脊髄損傷、車椅子生活になる。リハビリの一環として始めた車椅子バスケットボールでパラリンピック日本代表に。現在は、求人情報誌「salida」と求人サイト「フォーダブル」を管理・運営する「(株)サリダ・アド」に勤務の傍ら、車椅子バスケットボールチーム「千葉ホークス」に在籍。妻と一男一女の父。 シドニー、アテネに続く3度目のパラリンピック代表となる北京大会では、日本選手団の主将も務める。

(写真:2007年全日本車椅子バスケットボール選手権)



商品価格:   500ml×24本/ケース 3,600円(税込3,780円)
商品名:   酸素プラス
販売元:   日本食研株式会社
問い合わせ先:0120-37-8262
URL:   http://www.balancedate.co.jp
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