(※この原稿は8月9日発売の『Voice』2008年9月号に掲載されました)

 五輪サッカーには独自のルールがある。オーバーエイジ(OA)枠だ。
 五輪代表チームはU‐23、すなわち23歳以下で編成される。フル代表だとFIFAが主催するワールドカップの価値が落ちるからだ。
 OA枠は96年のアトランタ五輪から導入された。24歳以上の選手が3人まで登録できる。実はこの大会で日本代表(U‐23)はOA枠を3人使ったブラジル代表(U‐23)を撃破した。世にいう“マイアミの奇跡”である。

 この時のブラジル代表は本気で優勝を狙っていた。それまでワールドカップで最多の4度の優勝を誇ったブラジルだが、五輪を制したことは一度もない。王国の名誉を賭けてタイトルを獲りにきたのだ。

 それが証拠に監督のマリオ・ザガロはOA枠をフル活用し、それぞれの選手にFW、中盤、DFにおける中心的役割を荷わせていた。FWの軸は94年アメリカW杯優勝の立役者ベベト。この時、32歳とはいえ、ゴール前では熟達のスキルを誇っていた。
 中盤の下がり目にはリバウドを配した。長身でフィジカル能力にすぐれ、かつ守備の意識も高いことから、ザガロから全幅の信頼を得ていた。遠目から放つ矢のようなシュートは無類の正確性を誇っていた。
 最終ラインはアウダイールがまとめた。当時、アウダイールはセリエAのローマに所属し、ユニホームの色に引っかけ「赤い壁」と呼ばれていた。
 タレント揃いのブラジルにとって、日本はスパーリングパートナー以外の何物でもなかった。

 試合前、日本代表について聞かれたザガロはぶっきら棒にこう言い放った。
「乱暴なサッカーをしないチームであって欲しい」
 要するにザガロは「日本ごときは相手じゃない。そんなチームに、ケガでもさせられたらかなわない」と言いたかったのである。

 ところが、である。ありえないことが起きてしまったのだ。
 後半27分、ウイングバックの路木龍次が左サイドでボールをキープし、相手DFの背後にロングクロスを送り込む。ワントップの城彰二が、そのボールを執拗に追いかける。
 と、その時である。城よりも一瞬早くボールに追いついたアウダイールはヘディングによるバックパスをしようとして、飛び出してきたGKジーダと衝突してしまったのだ。
 ボールは坂道を転がるように芝の上を滑り、そのままブラジルゴールへ。オウンゴールかと思われた瞬間、ペナルティーエリア内に詰めていたボランチの伊東輝悦はスルスルッとボールに迫り、右足インサイドで慎重に蹴り込んだ。

 この虎の子の1点を日本は守り切った。特筆すべきはGK川口能活の守りだ。ブラジルのアタッカーたちから、何と28本ものシュートを浴びながら、ついに1度もゴールを割らせなかった。
 ある時は身を挺してゴールの前に立ちふさがり、ある時は果敢な飛び出しでシュートを未然に防ぎ、またある時は抜群の読みでDF陣を操り、シュートコースを消してみせたのである。
 ところで、アトランタ五輪の日本代表にはOAがひとりもいなかった。「若い選手に経験を積ませ、日本代表Aチームに入るよう育て上げる」
 それが西野朗監督と協会の方針だった。

 さて今回の五輪はどうか。最初、反町康治監督は神戸のFW大久保嘉人を招集しようとした。ところがクラブ側との調整がつかず、断念せざるをえなかった。
 もうひとり、中盤の要としてガンバ大阪の遠藤保仁にも声をかけたが、彼は体調不良を理由に辞退した。

 アトランタの時のように最初からOA枠を使わずに世界を相手にしようというのなら、それはひとつの見識である。結果を出せば、若い選手には大きな自信となるだろう。
 ところが24歳以上の“助っ人”に次から次へと断られ、なし崩し的にOA枠なしで戦うというのではU‐23の選手たちのモチベーションも違うのではないか。

 実は五輪はFIFAの公式行事ではない。それゆえ、OA枠を巡っては、世界のどの国でも多かれ少なかれ協会とクラブの間に対立が見られる。それは日本に限った話ではない。
 しかし、もう少し協会とクラブとの間で五輪に関するコンセンサスは必要ではなかったか。五輪をU‐23の選手たちの武者修行の場にするのなら、それも良し。OA枠を使ってでも勝ちに行くのなら、それも良し。中途半端が一番よくない。


◎バックナンバーはこちらから