「洋行帰り」に箔がつくのは何もビジネスの世界に限った話ではない。野球界でもコーチ留学、コーチ修行といえば、取りも直さずそれは渡米を指す。翻って韓国球界や台湾球界で禄を食んでいると聞くと、つい「都落ち」という言葉を思い浮かべてしまう。埼玉西武・渡辺久信監督の成功は、球界がそうした偏見を捨て去るきっかけになるのではないか。

 周知のように渡辺は現役引退を決意し、コーチ修行のため台湾に渡った。西武時代のチームメイト郭泰源に誘われたのがきっかけだった。
 ところが渡った台湾で予期せぬ事態が待っていた。投手力の弱さを補うため、監督から直々に現役復帰を命じられたのである。1年目にいきなり18勝(7敗)。MVPに始まり、最多勝、最多奪三振、最優秀防御率とタイトルを総ナメにした。

 しかし、これでは何のために台湾までやってきたのかわからない。渡台の目的はあくまでもコーチ修行なのだ。日本で培った技術をどのようにして台湾の若手に伝えるか。悩んだ挙句、渡辺は兼任コーチとして独自の指導スタイルを確立する。「たとえば伸び悩んでいるサイドスローの投手に対して“オレは今日、オマエと同じフォームで投げるからよく見とけ!”といって実際にサイドスローで投げたこともあります」。台湾での悪戦苦闘の3年間が渡辺を成長させたのである。

 我慢すべきことは我慢する。しかし、言うべきことはきちんと言う。台湾ではこんなこともあった。「1点を争うゲームの終盤、ウチのサードがファンブルして余計な点を与えてしまった。で、その次に強烈なゴロをダイビングキャッチで止めるファインプレー。その直後、信じられない光景を目にしてしまった。サードと守備コーチがハイタッチで喜んでいるんです。こんなことでいいのか……」。疑問を感じた渡辺はチームのためとばかりに悪役を買って出る。「傷を舐め合うようなことをやっていたのでは、このチームは強くならない!」

 台湾で3年、古巣の2軍で4年。教えながら教わる――。それが渡辺の7年間だったのではないか。学ぶ意欲と姿勢があれば、人はどの国からでも、どんな人間からでも学べるのである。

<この原稿は08年10月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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