連覇を達成したWBCで侍ジャパンが記録した盗塁数は9試合で11。1試合平均1.22。この程度かと思われるかもしれないが、これは出場16チーム中最多だった。短期決戦では空中戦よりも地上戦、機動力がいかに重要であるかを改めて証明した。
 かつて「盗塁は不要」と言い切ったGMが海の向こうにいる。アスレチックスのビリー・ビーンだ。2000年代前半、アスレチックスは世界一の“金満球団”ヤンキースの約3分の1の投資額で、ほぼ同等の成績を収めた。
 ビーンが打者を獲得するにあたり、なによりも優先したのは「出塁率」だ。煎じ詰めればベースボールとは、いかに27個のアウトから遠ざかるかを競うゲームである。
 バントはみすみす敵にひとつアウトをくれてやるようなものだ。これは論外。盗塁についても、先のベースでアウトになる確率が3割もあれば、チーム戦術としてこれを採用することはない。ビーンは監督はもちろん、選手にも自らがつくった掟への遵守を誓わせたのである。

 これによりアスレチックスはメジャーリーグ30球団の中でも最も特色のあるチームとなった。もっと言えば異質なチームとなった。103勝をあげた02年、アスレチックスはわずか46盗塁しか記録しなかったのだ。言わずもがなこの数字は30球団中、最低だった。走らなくても勝てる。いや、走らないから勝てる。ビーンが独自のセオリーにより自信を深めたことは言うまでもない。現在、チームにおいて自由な判断で盗塁を許されているのは俊足のラージャイ・デイヴィスただひとりである。

 盗塁をチーム戦術から切り捨てたことで2000年代、5度もポストシーズンゲームに進出したアスレチックス。しかし、手放しでは喜べない事情がある。この間、ワールドシリーズには1度も出場していないのだ。
 この事実から見えてくることがある。つまり長丁場のレギュラーシーズンにおいて盗塁はさして重要ではない(むしろ重視するとすれば盗塁の総数よりも成功率だろう)。だが短期決戦においては有効な武器となる。この使い分けがアスレチックスはできていなかった。侍ジャパンの戦いぶりは名GMの目にどう映ったか。ぜひ訊いてみたい。

<この原稿は09年4月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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