「あれをやられると、もうスポーツではなくなってしまう。僕たちは戦争をやっているわけじゃないんですから」。温厚な男が不愉快そうな表情を浮かべ、珍しく語気を強めた。
 言葉の主はベイスターズの内川聖一。過日、ひざを交えて話す機会があった。WBC2次ラウンド2回戦の韓国戦。日本は1対4と完敗を喫した。宿敵を倒し、2大会連続のベスト4進出を決めた韓国の一部の選手たちは勝ち誇ったようにマウンドに集まり、まるで占領の証とでも言わんばかりに太極旗を突き立てた。冒頭のコメントは、それを目の当たりにした瞬間の内川の心境だ。

 韓国は3年前のWBCでも同じことをしている。「あれはスポーツマンシップに反する行為だぞ」。そう苦言を呈することのできるリーダーが隣国の球界にはいなかったのか。
 引っかかったのは「日本の選手は非常に気分を害しているが?」との質問に対する徐在応のコメントだ。「日本の選手のことまで考えられない。あれは勝利のお祝いであり、自然な行為だった」

 改めて言うまでもないが、スポーツは相手がいなければ成立しない。試合中は「敵意」をむき出しにするのもいいが、試合後はそれを「敬意」に変えなければならない。これはルールではなくマナーの問題だ。腹立たしさを通り越して寂しい気持ちになったのは私だけではあるまい。

 韓国スポーツ界の名誉のために言っておくが、尊敬できる選手もたくさんいる。韓国人Jリーガー第1号の盧廷潤。今から16年前、米国W杯出場を巡り、苦戦を強いられていた日本代表を勇気付けるため、彼は敵陣にキムチを送ったのだ。「あの時ほど彼の優しさを感じたことはない」。サンフレッチェで同僚だった森保一はしみじみと語っていた。たかがキムチと言うなかれ。隣人に対するさりげない気遣い。彼こそは本物のスポーツマンだった。

 相撲に視線を移せば、初場所、優勝を決めた直後の横綱・朝青龍の土俵上でのガッツポーズ。敗者に対するいたわりがまるで感じられなかった。「喜びを表現するのは自然な行為だ」と弁護する声もあるが、他者への敬意よりも優先するものではあるまい。「他者不在」のミーイズム。その向こうには草木も生えぬ荒漠たる風景が広がっている。

<この原稿は09年4月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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