サッカーの南アフリカW杯南米予選で強豪のアルゼンチンが格下のボリビアに1対6と大敗を喫した。
 これがホームでの試合なら大波乱となるところだが、場所はボリビアの首都ラパス。1対6とういうスコアは驚きだが、アルゼンチンの敗北は意外でもなんでもない。

 周知のようにラパスは標高3600メートルの高地にある。言ってみれば富士山(標高3776メートル)の頂上付近でサッカーをしているようなものだ。
 どんな名選手でも、薄い空気には勝てない。アルゼンチンは前半11分に先制を許し、25分には1点を返したものの、同34分、ロスタイムと立て続けに失点を重ねた。
 後半に入ってもボリビアに押されっぱなし。立ち上がりに1点を追加され、19分にMFアンヘル・ディマリアが退場処分を受けると守備陣は完全に崩壊。あっという間に2点を追加され歴史的な大敗を喫した。
 ちなみにアルゼンチンは世界ランキング6位の強豪で2度のワールドカップ優勝を誇る。片やボリビアは世界ランキング56位の小国でワールドカップにも3度しか出場していない。
 平地で戦えば力の差は歴然だが、高地となると話は別だ。
 アルゼンチン代表監督のディエゴ・マラドーナは「あらゆる面でボリビアが我々を上回っていた。何も言うことはない」と憮然とした表情で語った。

 高地での試合は、いったいどれほどの困難を伴うのか。かつてメキシコのパチューカというクラブでプレーしていたことのある福田健二(現ギリシャ・イオニコス)からこんな話を聞いたことがある。
「パチューカは富士山でいえば5合目あたり。とにかく呼吸がしんどい。ヒイヒイいいながら呼吸をしていました。
 大げさではなく酸素マスクは必要なくらい。一回ダッシュしただけで僕の目の周りには星が回っていました。
 吐きたいけれど吐けない。胃からジワーッと液が出てくるような感覚。本当に死ぬかと思いました。
 コーチは“もう練習をやめていいぞ”と言ってくれるんですけど、ここでやめたらクビになってしまう。今の自分は何をすべきか。とにかく持っているありとあらゆる知識を総動員しました。
 呼吸には何が大切か。骨格の歪みはまずいぞと。大きく呼吸すると肺も大きくなるじゃないですか。私生活でも呼吸のことを随分、意識しました。慣れるのに、大体2週間くらいはかかりましたね」

 空気の薄い高地での試合に対してはFIFA(国際サッカー連盟)も頭を痛めている。
 07年12月、FIFAは原則として海抜2750メートルを超える高地での試合を禁じることを決定した。
 特例として許可する場合、海抜2750メートルを超える高地ではアウェーチームに対して1週間、3000メートルを超える高地では最低2週間の適応期間を設けることを08年3月に義務付けた。
 当然、アンデス諸国を含む中南米の多くの国からは一斉に反対の声が上がった。
 マラドーナもそのひとり。FIFAの見解が示された直後、ボリビアのエボ・モラレス大統領の招きを受け、首都ラパスで自身が率いるアルゼンチン代表OBチームと地元選抜チームとの間で親善試合を行った。
 この試合でマラドーナは60分間プレーし、3得点4アシストの大活躍。全ての得点にからみ、7対4で勝利を収めた。
 上機嫌のマラドーナは試合後、「(FIFAブラッター会長は)サッカーをやったこともない。自分たちの生まれた土地でプレーする機会を奪うなんてバカげている」とFIFAの決定を痛烈に批判した。
 このメッセージが効いたのか、親善試合から2カ月後、FIFAは「高地試合での健康への影響は調査中」として高地禁止令の一時凍結を発表した。
 マラドーナがアルゼンチン代表の監督になったのは、この発表からおよそ半年後。自分の発言で自分の首を絞めることになろうとは、さしもの天才も予見できなかったに違いない。

 最後に個人的な見解を述べよう。私はマラドーナの「生まれた土地でサッカーができないなんてバカげている」との主張に賛成だ。高地のラパスやキト(エクアドル)では以前からサッカーをやっていた。今になって「健康上の理由」を持ち出すのはおかしい。
 ブラジルなどは今でも高地での試合に反対の姿勢を示しているが、いくら黄金の足を持つ億万長者であっても足元のボールのように大自然をコントロールすることはできない。自らの存在が無力であることを知ることこそ傲慢を退け、退廃を遠ざける唯一の道であると私は考える。

<この原稿は2009年5月12日号『経済界』に掲載されたものです>

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