1970年代から80年代にかけて、日本のリングで猛威を振るったスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディ(故人)と名勝負を展開したジャンボ鶴田さんが世を去って今日が9回目の命日だ。享年49。
 取材では随分、お世話になった。それゆえ訃報に接した時はショックだった。その頃、鶴田さんは肝臓がんの治療のため、豪ブリスベーンの病院に入院し、さらには肝臓の移植手術を受けるため、フィリピン・マニラの病院に転院していた。
 ブリスベーンから急遽、マニラに飛んだのは現地でドナーが見つかったからだ。鶴田さんはワラにもすがる思いで手術台に上がったはずだ。しかし、残念ながら生きて手術台を降りることはできなかった。
<家庭教師のスペンサーから電話があったのは、5月13日のお昼過ぎでした。「ドクターが手術室から出てきて、こう言っている。血管が細くて硬い。つなぐのに苦労している。出血もかなりある、と」。コーディネーターに詳しい状況を尋ねました。「奥さん、安心して待っていてください」。それから約2時間後。電話のベルが鳴りました。コーディネーターからでした。「残念ながら、ご主人はお亡くなりになりました」。私は叫びました。「なんで死ぬんですか!」>(鶴田保子著『つぅさん、またね。』)

 臓器移植法の改正案が今国会で採決される見通し。この法律は12年前に制定され、3年後の見直しが規定されていたにもかかわらず、実際にはほったらかしの状態だった。
 ところが昨年5月、国際移植学会が臓器売買や移植ツーリズムに反対し、自国内で死体ドナーを増やして自国内での臓器移植を求める宣言を出した。追い詰められたのが、臓器提供者の少ない日本である。命綱とも呼べる海外での移植手術の道も閉ざされてしまった場合、待機患者はどうすればいいのか。国会や医療現場の対応がこれ以上、後手に回るのは人道的な見地からも許されないだろう。

<どういう段階を経て、自分が生きてきたか。そして手術後はいかにいただいた臓器に敬意を払いながら生きていくか。その生き証人となって、あとにつなげていく。日本の脳死移植を進めるための証拠を残す。だから、僕は死ぬわけにはいかない>(前掲書)
 生前、鶴田さんは夫人にこう語ったという。没後9年、鶴田さんの死の意味はますます重みを増している。

<この原稿は09年5月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから