マイケル・ジョーダンに憧れてバスケットボールを始めた。少年の頃はいつも4つ年上の兄と一緒にジョーダンのプレーを食い入るように見つめていた。
 15歳の夏、仲西淳少年は運命的な出会いを果たす。ジョーダンが主催するバスケットボールキャンプに参加したのだ。場所はロサンゼルス。
「もう頭の中が真っ白になりましたね。(ジョーダンが)目の前にいることが信じられなかった。目が合って笑ってくれたんです。その時の感動は今でも心に残っていますね」
 そして、こう続けた。
「写真を一緒に撮る機会があって、僕がジョーダンの隣に座ったんです。その時は緊張しすぎて何もしゃべれなかったんですが“こんにちは”と挨拶したらスマイルを返してくれた。
 このキャンプには合計、4回行ったんですけど、2年目、3年目は英語もしゃべれるようになっていたので普通に“元気? 毎年来てるけど、僕のこと覚えている?”なんて話しかけましたよ。
 するとジョーダンは“覚えている、覚えている”と。ホントかなぁと思いましたよ。だってこのキャンプには総勢500人ほどが参加しているので、ひとりひとりがジョーダンに集中してみてもらうことはできない。僕は天にも昇る気持ちでしたけど……」

 ジョーダンとの出会いが、仲西少年のバスケットボール・プレーヤーへの夢を加速させた。東京の中学を卒業すると同時に少年は留学を決意する。もちろん本場でバスケットボール漬けの日々を送るためだ。
「最初はオクラホマ州の高校に入りました。現地からジョーダンのキャンプに参加していました。そこで現在bjリーグのコミッショナーをしている河内敏光さんにお会いしました。“カリフォルニア州に知り合いがいるよ”と。それでカリフォルニアの高校に転校したんです」
 高3の選手権では南カリフォルニアで2位になった。夢は大きくNBAプレーヤー。大学はサンタモニカカレッジに進んだ。
「アメリカでバスケットボールをやる以上、NBAを目指すのは当たり前のことです。僕の周りのプレーヤーもNBAを目指していたし、必然的にバスケットに取り組む意識も高かった。
 これは初めてジョーダンのキャンプに参加した時のことです。ただパスをしているだけだと、やる気がないな、と見られてしまいます。僕も日本のイメージでパスを回していると“何してるんだ、行け!”と叱られてしまった。
 アメリカではボールを持ったら、“とりあえず行け!”なんです。“まず、ゴールを見ろ。シュートを決めることを考えろ”と。
 ところが日本の少年たちはボールを持つとゴールを見ずに、まずパスする相手を探そうとする。こうなると次からパスが回ってこない。
 その点、アメリカは自己主張の国。皆“オレがオレが”なんです。そうかと思ってやりだしたら、オレもスイスイいけちゃった。それからですよ、バスケットが楽しくなり始めたのは……」

 大学時代のことだ。再び、河内から声がかかった。
「今度、bjリーグができる。ちょっと頭に入れといてくれ」
 NBAでのプレーを夢見ていた仲西には「このままアメリカでバスケットを続けたい」という思いの方が強かった。
「でも日本初のプロリーグができるという。それを盛り上げるのも、日本人としての自分の役目なのかなぁ……」
 2005年夏、仲西は帰国。ドラフト1位指名を受けて東京アパッチに入団した。
 日本初のプロバスケットリーグであるbjリーグは05年3月に設立された。エンターテインメントとしてのプロバスケットボールの確立や地域社会におけるスポーツ文化の向上を目的としている。
 現在、同リーグは北ブロック(仙台89ERS、新潟アルビレックスBB、富山グラウジーズ、埼玉ブロンコス)と南ブロック(東京アパッチ、大阪エヴェッサ、高松ファイブアローズ、大分ヒートデビルズ)に分かれ、同一ブロックのチームとは8回総当たり、別ブロックのチームとは4回総当たりで全40試合を行う。そして、レギュラーシーズン4位以内に入ったチームがプレーオフ出場の権利を得る仕組み。初年度の昨シーズンは大阪エヴェッサが初代チャンピオンに輝いた。東京アパッチは3位だった。
 今季、仲西はキャプテンに任命された。ヘッドコーチのジョー・ブライアントはNBAのスーパースター、コービー・ブライアントの父親である。

 仲西はキャプテンとしてヘッドコーチの戦術をチーム全体に浸透させる役割も担う。
「ヘッドコーチは、どちらかというと自由にやらせてくれますね。あまり難しいことは言わない。“ファーストブレイクで点を取れれば、それが一番楽だから、できるなら速攻で決めろ!”と。
 サインプレーもいろいろあるんですが、どれも基本的な物ばかりで、“あとはオマエら自由にやれ”という考え方ですね。
 でも日本の選手は自由なやり方になれていないから、昨年はそれで崩れてしまった。今年はそんなことがないよう、僕が中心になってまとめようと思っています。
 キャプテンですから、自分から声を出し、選手の意識改革を促したい。ウチは乗っている時はいい攻撃をするし、ディフェンスも機能するんですが、流れが悪くなると途端にシュートが入らなくなる。逆に大量点を奪われる。そういう時に下を向いてしまう選手が多いので、精神的にもっと強くならないと。
 それに、やはり日本のリーグなんだから日本の選手が頑張らないと面白くんないと思うんです僕個人としては自分の生き方、自分のスタイルを崩したくないですね。どんなことがあろうともね」
 東京アパッチは開幕から3連敗を喫したが、その後、5連勝。12月4日現在、6勝4敗の3位。やっとエンジンがかかってきた。

<この原稿は2007年1月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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