田臥勇太(リンク栃木ブレックス)に吉報が届いたのは5月28日の朝だった。エージェントのマーク・コンスタインからメールが届いていた。「なぜこの時期に…」。通常NBAで翌シーズンの契約に関する動きが本格化するのはNBAファイナルが終了した6月下旬だ。いぶかしく思いながらメールを開くとダラス・マーベリックスからのミニキャンプ参加の誘いだった。
 ミニキャンプの日程は6月11、12日。田臥は6月10日に開幕する東アジア選手権の日本代表候補に選ばれ、11年ぶりに日の丸のユニホームに袖を通すことが確実視されていた。自身が不在となる代表のことも気にはなったが、当初からの希望を優先した。実は田臥は代表入りするにあたり、NBA復帰のチャンスがあれば、そちらを優先する旨を協会側にあらかじめ伝えていたのだ。

 首尾よくNBA復帰となれば5シーズンぶりだ。しかしNBA開幕ロースターへの道のりは容易ではない。仮にミニキャンプで実力を認められたとしてもサマーリーグ、サマーキャンプとハードルを越えていかなければならない。さらには9月のトレーニングキャンプ、10月のプレシーズンゲームを経なければならない。長く険しい道のりだ。

 渡米当日、本人に心境を聞いた。「ミニキャンプで僕の良さをチームに見せられれば先につながっていくと思います。(NBA復帰には)いくつものステップを踏まなければなりませんが、ひとつひとつ確実に越えていきたい。ともかく今はレベルの高いところでバスケットができるのが楽しみ。持ち味のスピードをいかしたプレーがしたい。冷静な判断力もぜひ見てもらいたい。小柄だからこそ、逆に目立つことができると前向きに考えています」

 2004年11月3日(現地時間)、フェニックス・サンズの開幕メンバーに名を連ねた田臥は第4クオーターでコートに入り、約10分間で7得点を記録した。悪くないデビュー戦だった。だが、この1カ月半後に彼はチームを解雇される。「あの時も、あれ以降も、僕にとってNBAは、たったひとつの“夢の場所”なんです」

 28歳という年齢は決して若くはない。時間という資源には限りがある。「最後の挑戦のつもりでやります」。クールな男が珍しく語気を強めた。海の向こうからの朗報を待ちたい。

<この原稿は09年6月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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