1999年6月1日の開設以来、当サイトでは膨大な量のインタビュー記事、コラムを更新してきました。今回はサイト10周年を記念して1カ月間、過去の傑作や貴重な内容のものをセレクトし、復刻版として毎日お届けしています。記事内容は基本的に当時のままを掲載しており、現在は名称や所属が異なる場合もありますが、ご了承ください。第4弾は2000年のシドニー五輪で悲願の金メダルを目指していた柔道・田村(現:谷)亮子へのインタビュー(実施は99年)をお送りします。
 ピアノじゃ物足りない

二宮: 柔道を始めたのは小学校2年生の時だと伺っていますが、きっかけは何だったんですか?
田村: 3つ年上の兄がいるんですが、その兄が柔道を習いに行ってたんです。それで母と一緒に兄を迎えに行ったら、当時2〜3人の女の子が柔道をやっていて、男の子を投げ飛ばしていたんですよ。それを見て「カッコいい!」と思いまして。一目惚れですね。

二宮: 柔道に一目惚れですか?
田村: ええ。母に「柔道を習いたい」って言ったんですけど、「女の子のやるスポーツじゃない」と反対されました。それで、父に「お父さん、どうしても習いたい」と頼んだんです。そうしたら「どうせ三日坊主だからやらせてみよう」と許しが出ました。それからは毎日、練習時間になるのが楽しみで、学校が終わったら走って帰っていましたね。
 最初に道場へ行った時は、幼稚園生かと思われていたくらい小さかったんです。小学校5年生の時、初めて全国大会に行ったんですけど、当時の身長が121センチで体重は25キロ。小学校1年生並みですよ。だから年相応に見られたことがなかったですね。まぁ、今も体質は変わってませんけど(笑)。

二宮: 柔道の他に習い事は?
田村: 小学校時代はピアノ、書道、乗馬を習っていました。家の近所に乗馬クラブがあって、そこのおじさんと仲が良かったので乗りに行っていましたね。1年くらいでしたけど。でも、やっぱり1番感情的になるのは柔道でした。

二宮: 相手を投げた時の気持ちよさもありますしね。
田村: はい。快感というか、すっきりするんですよ。特に男の子を投げ飛ばすのが気持ちいいんです。それにカッコいいでしょ、男の子に勝つっていうのが。そうやって勝ったり、負けたりすることに対して感情的になれるので、どんどん柔道の虜になりましたね。

二宮: 「ピアノじゃ物足りない」と?
田村: 何が楽しいのか分からなかったです(笑)。それよりも、段々柔道のことを考える時間が増えて、「悔しい、もっと練習したい」とか「もっと強くなりたい」とか思っていました。

二宮: 悔しいというのは、試合で投げられたりした後とかに思うんですか?
田村: 負けることが多かったんですよ、小さくて。ごはんもあまり食べなかったし、結構引っ込み思案だったんですよ、こう見えても(笑)。親にも我慢するようなタイプで。でも、それを変えてくれたのが中学生の時の福岡国際。優勝して、取材をして頂けるようになって、そこで自分の気持ちを引き出してくれたんですよ。それから変わりましたね。

 相手から目をそらすな!

二宮: 少し話が戻りますが、小学生の頃、「もう辞めよう」と思ったことはありませんでしたか? 朝も早いし、ツライ時もあったと思いますが。
田村: いえ、楽しかったですよ。確かにキツイんですけど、みんな「強くなりたい」という同じ気持ちで頑張っていました。その点では、小学校の時から友だちに恵まれてきたと思います。

二宮: 当時指導にあたっていた稲田(明)先生は、どういうことをおっしゃっていましたか?
田村: とにかく体が小さかったので、「ごはんをしっかり食べなさい」と。そして「練習は人の3倍しなさい」。この2点です。あとは、これは今でも守っているんですが、対戦相手と目が合ったら絶対にそらさないということ。向こうがそらすまで、こっちからは決してそらさない。「睨み合って目をそらしたほうが負ける」と教わりました。

二宮: いいこと言いますね。やはり目をそらす人とそうでない人がいるんですか?
田村: 外国選手はあまり目を見てこないですね。日本の選手は大体そらしませんよ。

二宮: 睨むのがいいんですか、それとも見つめるくらいのほうがいいんですか?
田村: 睨むという感じではありません。「絶対負けないぞ、かかってこい!」という気持ちを目に表すことですね。

二宮: 古賀(稔彦)選手が言っていたのですが、相手が強いか弱いか、やる気があるかないか、というのは雰囲気で分かるらしいですね。
田村: だいたい分かる時もありますし、内に秘めてそれを見せない選手もいます。そういう選手は恐いですね。自分はどちらかというと、柔道着を着ると大きく見せようとするので、表情に出ているかもしれません。気持ちで戦うタイプなので。

二宮: 気持ちを表に出して戦う、ということですか?
田村: 勝負ですから、ちょっとでも相手に隙をみせたくないんです。やはり柔道衣を着ると変身してしまいますね。

 男子と稽古する利点

二宮: 小学校の時通われていた東福岡柔道教室では、男子生徒とも一緒に練習していたそうですね。男の人との練習は、その後の強さに影響しますか?
田村: 小さい時から男の子に混じってやる、というのは大事なことだと思います。男性と女性では体の柔らかさが違うんですよ。男性が相手だとバシッと決まるところが、女性だと体が柔らかいので決まらないことがある。柔道というのは、瞬発力や爆発的な力が必要なスポーツですから、そのあたりは男性との練習で身につけられます。その上で、女性と組んだときの感覚も忘れないことが一番重要ですね。

二宮: 道場では、「女性だから」と大目に見てくれることはありましたか?
田村: なかったです。食事の時なんて、「食べんか!食べんと大きくならんぞ」って稲田先生に福岡弁でおっしゃるんですよ。それが恐くて萎縮してしまって、先生の前ではいつも茶碗一杯も食べられなかった。でも、先生は柔道を離れたらとても優しいんですよ。

二宮: 食事は練習後にみんなで食べるんですか?
田村: ええ。練習が終わった後、「食事行くぞ」って先生がおっしゃって。それで、同級生はどんぶり一杯とかをペロッと平らげるんですけど、私は2〜3口食べたらもう駄目で。飲み物はたくさん飲むんですよ。牛乳1リットルくらい。でもごはんが食べられなかった。だから本当にガリガリだった。「食事よりも練習をやっていたほうが良い」と思っていましたね。今じゃそんなことできないですけど(笑)。

二宮: 特に好き嫌いが激しかった、というわけではないんですか?
田村: 好き嫌いはありませんでしたが、量をたくさんとることができなかったんです。

二宮: では、きちんと食べられるようになったのは、ある程度成長期になってから?
田村: そうですね。中学校に入ってから参加が体重別になったんですよ。それで海外の選手とも試合をするようになったんですけど、やはり体が二周りくらい小さい。このハンディはちょっとキツイなぁと思って、ごはんをちゃんと食べようと決めました。それから少しずつ少しずつ食べられるようになって、やっと茶碗一杯を食べられるようになったんです。高校に入ってからは、食べ過ぎるぐらい食べちゃいましたね(笑)。甘いモノが大好きなんで、51?くらいに太っちゃって。

 始めて4カ月で5人抜き!

二宮: ところで、小学生の時に獲得したタイトルって覚えていますか?
田村: はい。小学校の時はほとんど団体戦ですね。九州大会優勝と、全国大会優勝。全国大会の時は6年生で、団体戦の先鋒でした。九州大会のほうは、4年生ぐらいだったと思います。5年生の時は全国大会で3位。福岡県では女子の部がありまして、その大会では優勝したりしなかったり。結構層が厚かったですね。

二宮: 最初に大会で優勝されたのはいつですか?
田村: 自分の中では、博多の櫛田神社での5人抜きです。柔道を始めて間もない2年生の時、最初に出た試合で金メダルをもらいました。男の子を5人抜きました。

二宮: 相手が全員男の子とは、伝説ですねぇ。ところで、その大会は何人抜いてもいいんですか?
田村: いや、5人までなんですけど(笑)。

二宮: もっと大勢いたらもっと抜いていたかもしれませんね。一本勝ちですか?
田村: 全部背負い投げでした。それで、2人くらい頭から落ちて脳しんとうを起こして、救急車で運ばれました。打ち所が悪くて。

二宮: 下は畳じゃなかったんですか?
田村: 畳なんですけど、コンクリートの上に敷いているんです。神社なので。だからたまにはみ出してしまったりすることもあって。

二宮: しかし相手もカッコ悪かったでしょうね。いくら田村さんが強いといっても、脳しんとうを起こして運ばれるなんて。
田村: でも、負けた本人よりも親の方が熱心だったりしますよ。私のような体の小さい相手に負けると、「何で負けるかっ!」とか言って頭をバシッと叩かれていたり(笑)。あとは正座させられたりとかもありましたね。

二宮: その5人抜きは、柔道を始めてどれくらいの時のことですか?
田村: 小学校2年生の6月に始めて大会が10月でしたから、4カ月かな。

二宮: 4カ月で男の子を次々倒すとは、その頃から才能の片鱗があったんですね。
田村: どうでしょうか。でも、その時は背負い投げと大内刈りという2つの技しか習っていなかったんですよ。特に、体が小さいので足技からの背負い投げが有効だと、先生が背負い投げを毎日教えてくれました。そして臨んだ初出場の大会で、初5人抜き、初金メダル!! その時に、「もっと頑張りたい、もっと強くなりたい」という気持ちが芽生えたんです。

(第2回につづく)

<この記事は1999年8月に行われたインタビューを構成し、00年6月に掲載されたものです>
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