「今の若い人は恵まれ過ぎていますよ」
 独特の口調でそう語ったのは御年73歳の東北楽天・野村克也監督だ。
 昔の野球選手は自らの給料で用具を買っていた。二軍選手はバットやグローブを揃えるだけで給料が消えていったという。
「若い頃はバッティングが下手クソですから、すぐにバットを折っちゃうんです。そうなると一軍の先輩から使い古しのバットをもらうしかない。自分の好きなスタイルを選ぶなんで贅沢ですよ。
 ある日、グリップの太いバットしか残っていなくて、それで打ったら気持ちよくコーンコーンと打てた。それまでは長距離砲というと細いグリップのバットを使っているというイメージがあったんですが、固定観念だったんですね。
僕はグリップの太いバットでボールを遠くへ飛ばすコツをつかんだ。何が幸いするかわかりませんよ」

 最近はプロになったばかりの二軍選手でも、頼めばどこかのスポーツ用品メーカーが用具を支給してくれる。恵まれているといえば恵まれているが、少しは懐を痛めた方がハングリー精神が養われるのではないか。あるいは先輩の使い古しのバットやグラブを使うことで、眠っていた感覚が磨かれることだってあるだろう。

 野村監督はこんなことも言っていた。
「昔はピッチングマシーンなんてものはなかった。雨天練習場もないから雨が降ったら練習できない。だから平均すると、キャンプでのバッティング練習は5スイングくらいですよ。レギュラーになって、やっと一日10スイングくらい。ボールだってカネがかかっているわけですから。
 だけど、これが逆によかった。一球を大事にするようになるんですよ。一振り一振り、感触を確かめながらスイングしなければ、あっという間に終わってしまう。集中力を持って練習をやっていましたよ。

 ところが今じゃ“特打”なんて言って時間の制約もなしに何百本も打っている。時々ね“おい、今何を意識してやってるんだ”と聞いてみたくなることがありますよ。工夫の跡がまるで見えてこない。
 本来、目的のない練習なんてひとつもないはずなのに、練習自体が目的になっている。見ていて歯痒くなる時がありますよ」

 工夫の精神や向上心は、むしろ恵まれていない環境の中にいてこそ育まれるものかもしれない。与えれば与えただけ上達すると考えるのは指導者の怠慢だ。教育の現場においても同じことが言えるのではないか。

(おわり)

<この原稿は「Voice」2009年6月号に掲載されました>
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