勇利の試合を初めて見たのは、1990年2月1日。つまり日本でのプロデビュー戦である。この日、勇利、オルズベック・ナザロフら6人の旧ソ連人ボクサーが両国国技館のリングに上がった。6人の中には、時のヘビー級王者、マイク・タイソンへの「刺客」として話題を集めたヴチャスラフ・ヤコブレフ、ソウル五輪のライトウェルター級金メダリスト、ヴチェスラフ・ヤノフスキーらも含まれていたが、最も高い評価を受けたのは、アラン田中という在日フィリピン人ボクサーをわずか3ラウンドでキャンバスに沈めた最軽量級の勇利だった。
 鮮烈な印象が私の脳裡に刻まれた。一言でいえば精密機械。スピーディーでパンチ力がある上に距離感が抜群によく「動く教科書」を見ているような思いにとらわれた。
 クセのない自然体のフォームから繰り出される左ジャブは的確に標的を射抜き、ミサイルのような右ストレートは着弾と同時に相手をカタストロフに陥れた。

 打っては離れる、いわゆるヒット・アンド・アウェイ・スタイルの模範を勇利はデビュー戦で披露した。アマ戦186戦165勝21敗のスーパーエリートに、日本のプロボクシング界が授けるものは何もなかった。また勇利も余計な口出しを望まなかった。ワールドクラスのトレーナーであるジミン・アレクサンドルは勇利のボクシングをこう評した。
「彼は“生ける芸術品”。ボクシング界における(世界のプリマドンナ)マイヤ・プリセツカヤだよ」

 ところでメカニカルなボクシングを展開する勇利には、どうしてもファイティング・マシーンのイメージが付きまとう。相手の急所をピンポイントで射抜く神業的なセンスの陰では、常に傭兵のように青白く光る闘志が点滅している。

 以前、勇利に聞いてみたことがある。
――果たして人間はどこまで完璧なファイティングマシーンになれるのだろう?
 返ってきたセリフはこうだった。
「ロボットは完璧にはなれない。人間だからこそ、完璧になることができるんだ。なぜなら、人間には理想を求める意志がある。憧れを抱くべき対象がある。しかし、ロボットにそれがあるだろうか。結果も大事だが、それ以上に大切なのは経過だと思ってほしい。すなわち自らを開発すること。それを休まずにやり続けることによって、一歩でも完璧に近づくことができるんだ。人間の戦闘能力というものは、鉄と一緒で磨いてやらないとすぐに錆びついてしまう。包丁を研がないコックがいないのと同じように、自分の戦闘能力を磨けないボクサーなんていやしない。問題はどれだけの使命感をもってやっているかだよ」

 ゴング前の入れ込みがウソのように、立ち上がり、渡久地は静かだった。勇利の間合いを何度か破ったにもかかわらず、まったくと言っていいほど手を出さなかった。得意の左ボディーブローを叩き込む絶好機を得ながら、なぜか逡巡した。この時点で作戦ミスは明らかだった。
 なぜ、攻めなかったのか。勇利の右ストレートを警戒したのだとしても、それはあまりにも消極的に過ぎる。しかも勇利の距離感は絶妙と言っていい。渡久地が最強王者に一泡吹かせるには、リスクを冒してでも間合いを破り、立ち上がりからアタッキングゾーンでオール・オブ・ナッシングの攻撃を仕掛けるより他に方法がないのである。

 何事もなかったように1ラウンド終了のゴングが響いた瞬間、私は渡久地にとって最悪の結末を予測した。立ち上がり、不慣れなタイプの挑戦者ゆえに微妙にズレていた勇利の距離感は、エンジンのかかりとともにカメラのピントが合わせられていくように精度を上げ、やがて1ミリの狂いさえ感じられないほどに修正されてしまった。精密機械が正確なリズムを刻みはじめてしまっては、もはやチャレンジャーにつけ入る隙はない。

 続く2、3回も勇利のラウンド。小さなパンチが徐々に当たり始める。
「ディスタンス(距離)!」
 ジミン・アレクサンドルの声が響く。渡久地も左ボディーブローを中心にして反撃を試みる。手数は少ないが、足は動いており、打ち終わって棒立ちになる悪いクセはまだ顔を出さない。

 4回、勇利の右拳がバキッと鈍い音を立てた。私の横に座っていた上原康恒(元WBA世界J・ライト級王者)が「頭を叩いて拳を痛めちゃったよ」と小声で言った。その“証言”通りだった。5回、6回と、勇利は左ジャブを突くだけで、まったく前に出てこなかった。それでも焦りの表情は微塵も浮かべない。
 渡久地にとって絶対絶命にピンチは7ラウンドに訪れた。ピンポイントのレバーブローで動きを止めた勇利は、一瞬、ガードの落ちた渡久地の左顎に左フックを叩きつけた。渡久地はよろよろと体制を崩し、たまらずキャンパスに左手を突いた。

 二度目のダウンシーンはさらに凄絶だった。渡久地をロープに詰めた勇利は、ここを先途とばかりに速射砲の砲口を全開にした。さながら公開処刑のような惨劇。防戦一方の渡久地は鎖の切れたサンドバックのように腰からストンとキャンパスに落ちた。
 その時、ふと“リングの科学者”ジミン・アレクサンドルの言葉が脳裡に浮かんだ。
「私たちが求めているのは見えないパンチだ。これが相手に一番、恐怖をもたらす。一瞬にして相手の頭脳を停電させてしまうパンチだ。強さは所詮、速さには勝てない。それが真実だよ。」

 6年越しの悔恨劇のフィナーレは、嵐の中、唐突に訪れた。9ラウンド、渡久地は死力を振り絞って逆襲に出た。燃え尽きる寸前のローソクにも似た、刹那的なレジスタンスはそれなりの観客の感動を呼ぶものではあったが、さして有効ではなかった。

 チャレンジャーの打ち疲れを待って、勇利は一気に反撃に打って出た。というより、試合の幕を引きにかかった。傷つき、疲れ果てたチャレンジャーをロープに詰め、芸術的なるがゆえに残酷なコンビネーションブローを集中豪雨のごとく降らせ続けた。
 青白い表情にルージュを引いたような赤みが差し、殺戮のリアリティを一層際立たせた。この無機的なる殺意は、一体どこから生まれ来るものなのか。王者を育んだシベリアの凍土がそうさせるのか。いや、そうではあるまい。それこそは、この男が「完全無欠」であることの証明なのだ。

 試合後、記者会見の席に勇利は右腕を包帯でつるして現れた。4ラウンドの攻防で右拳を骨折していたのだ。頭がクラクラしてきた。ならば一体、あの7ラウンドの攻撃をどう説明すればいいのだろう。完全無欠の王者は、記者会見の最後をゾッとするようなセリフで締め括った。
「(渡久地の再挑戦は)お勧めしない。渡久地は病院に行って医者に診てもらい休んだ方がいい。きっとかなりのダメージを負っているはずだから」

 尊敬の気持ちを込めて、あえて問いたい。勇利アルバチャコフ、あなたはボクシングの「神」なのか、それとも「悪魔」なのか――。

(おわり)
>>前編はこちら

<このコラムは二宮清純「Boxer's Profile」のコーナーで2001年5月に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから