「松永君、キミにロス五輪全日本チームの監督をやってもらうことになった。いいね」。アマチュア野球のドンと呼ばれた日本野球連盟副会長・山本英一郎(故人)から電話がかかってきたのは五輪開幕の1カ月前だった。

 日本のロス五輪出場は、五輪開幕の2カ月前、キューバが出場をボイコットしたことにより、急転直下、決定した。

 松永は急遽、社会人13名、学生7名からなる混成のナショナルチームを結成した。このチームには後にプロでも活躍する正田耕三や荒井幸雄、宮本和知らが名を連ねていた。投攻守にバランスのとれたチームではあったが、一点、ウィークポイントがあった。長距離砲の不在である。

 松永は広沢克己がカギを握ると早くから考え、明大の監督・島岡吉郎に国際電話を入れ、「広沢が打てるようになるなら、どのように直しても構わない」との言質を取り付けていた。

 早速、松永は広沢のフォーム改造に取り掛かった。広沢のクセであるインパクトの前のアウトステップを矯正し、センター返しを徹底的に叩き込んだ。それが決勝の大舞台で実を結んだのである。

「五輪で勝つにはつなぐだけではダメ。時にドカンといかなくちゃ。日本には広沢という大砲が必要だったんです」。松永の先見の明が黄金色の輝きを呼び込んだのである。

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