狭山丘陵の一角にある西武球場は、すりばち状になっているため、秋になるとライト後方から吹いてくる風が中空ですさぶように舞う。
 試合の中盤ごろから風が徐々に強くなり、スタンドの観客は一斉にジャンパーやコートの衿を立て始めた。風雲急を告げる、と形容するほどものものしいものではないにしても、重々しい試合の空気が一変しそうな気配は、かなり濃厚に立ちこめていた。
 1991年10月26日、西武対広島の日本シリーズ第6戦。ここまでの対戦成績は、シリーズが始まる前に圧倒的劣勢が伝えられた広島カープの3勝2敗。初戦、先発の佐々岡慎司が打ち込まれて3対11と大敗したものの、2戦目、左腕・川口和久の好投で4対2と雪辱。3戦目には渡辺久信に0対1と完封負けを喫したが、4戦目、佐々岡の奮闘で7対3と圧勝。5戦目も川口の一世一代の快投もあって3対0のスコアで連取。カープは日本一にあと1勝と迫っていた。
 そして迎えた6戦目、先手をとったのはもう後がないライオンズだった。先発は、ライオンズが2戦目に早々とノックアウトをくらって退いた郭泰源。カープはシリーズ初先発の川端順。3戦目に好投した北別府学の先発が予想されたため、この起用には驚きの声が漏れた。
 1回裏、ライオンズは川端の立ち上がりを攻め、先頭の辻発彦が三遊間を破って出塁、2番の安部理が手堅くバントで送ったチャンスに4番・清原和博がしぶとくライト前へ落とし、先取点を手にした。だが、広島も負けてはいない。4回表、野村謙二郎がレフト前ヒットで出塁、2つの内野ゴロで三進した後、4番のアレンがセンター前に転がし、同点のランナーを迎え入れた。
 ヤマ場は6回裏に訪れた。カープは川端から石貫宏臣へとつなぎ、5回から金石昭人をマウンドに送った。金石は5回こそ無難におさえたものの、6回、まず先頭打者の石毛宏典に二塁内野安打を許し、田辺徳雄に送りバントを決められたあと、7番・伊東勤に詰まりながらもライト前へ運ばれる。1死1、3塁。狭山の丘には風が舞い、フィールドには砂金の粒子のような秋のまぶしい日差しが注ぎ込んでいた。
 このチャンスに、ライオンズベンチは当たりの出ていない平野謙にかえ、左の森博幸を代打に送った。金石は初球、いきなりデッドボール、これで1死満塁。続くトップの辻はサードゴロで石毛が本封。2死満塁となったところで、カープの山本浩二監督はブルペンに目をやりながらベンチを出た。
「ピッチャー川口!」
 次打者である左の安部に対するワンポイント的色彩の強いリリーフ指令である。それを見届けてから、ライオンズ森祇晶監督もゆっくりとベンチを出た。安部の代打に右の鈴木康友。彼はこのシリーズで川口と2度対戦し、最初(第2戦)はレフト前ヒット、2度目(第5戦)はサードのエラーでともに出塁している。
 優勝に王手をかけながらも、カープベンチに余裕はなかった。川口は前々日にも104球を投げており、肩の疲労は疑うべくもなかった。しかも、公式戦ではほとんど経験のないリリーフ。カープベンチにとって、この継投は文字どおりの賭けだった。
 3塁側ブルペンからマウンドに上がる川口の顔は青ざめて見えた。ブルペンキャッチャーにボールを返した時にあげた左手に西日が照りつけ、まるでレントゲン写真のように乳白色に透きとおった。次の瞬間、左の5本の指は妖刀の刃こぼれのようにポロポロと朽ち果て、拾い集めることもできない……。そんな白日夢がふと脳裡をよぎった。こんなおぞましい光景を思い浮かべたのは、もちろん初めてのことだった。

 3人のランナーを背負った川口は初球、インコース高目にストレートを投じた。
 それは鈴木にとってコースも球種も狙いどおりのボールだった。タイミングはぴたりと合ったが、シュート回転した分だけ、ボールはバットの芯をかすかにはずれた。擦過音を発した打球は後方のバックネットに向かって一直線に飛んでいった。
「しまった!」
 鈴木は思わず持っているバットをへし折りたい衝動にかられた。
「これで終わりだろうな」
 代打にとってチャンスは1球しかない。狙いどおりのボールを打ち損じたら、もう2度と待ち球はやってこない――。12年目のベテランで、代打経験の豊富な鈴木は自らにそう言い聞かせてバッターボックスに入っていた。すなわち、初球にすべてを賭けていたのである。
 2球目は初球よりさらに厳しいコースにストレートが決まった。インローにクロスファイヤーのファストボール。スピードガンは143キロを計測した。鈴木は手も足も出なかった。
 カウントはツーナッシング。鈴木はまたたく間に追い込まれてしまった。
「もうええわ。終わりや、終わり。打てんかったら(野球を)やめたらええわ」
 開き直ったようにそう吐き捨てると、プレッシャーがスーッと消えていった。超満員のスタンドをながめる余裕もできた。バッターボックスをはずして深呼吸する。心の中を空っぽにして、もう1度、狙い球を確認する。初球と同じストレートがインハイにくるに違いない。鈴木はそう確信した。
 理由はこうである。
「2死満塁という場面、守っていて一番いやなのは変化球を引っかけられて内野ゴロになること。つまり変化球は投げさせにくい。当然バッテリーが狙うのは1に三振、2にポップフライ。となればキャッチャーはインハイのストレートを要求するでしょう。つまり初球と同じ読みです。追い込まれたことで気持ちがうまい具合に吹っ切れ、迷いは全くなくなっていました」
 運命の3球目、キャッチャーの達川光男は腰をやや浮かせてミットを構えた。川口の左手からボールが離れた瞬間、「アカン!」と目をつぶった。ボールへの指のかかりが悪く、手離れも早かったからである。
 快音を発した打球は、やや詰まりながらも三塁手・原伸樹の頭上を越え、レフト前に転がった。2人の走者が還り、得点は3対1。勢いに乗る西武は、川口の後を受けた紀藤真琴から秋山幸二がレフトスタンドにダメ押しのスリーランホームランを叩き込み、6対1と勝負を決めた。川口から鈴木が奪った2点タイムリーは、シリーズの星をタイに引き戻したにとどまらず、シリーズの命運そのものを決定づける値千金の一打となった。

<この原稿は1996年5月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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