カリスマと呼ばれる人物が近年、めっきり少なくなった。政治の世界においてしかり、経済の世界においてしかり、スポーツの世界において、またしかり。
 そんななか威風あたりを払っているのが京セラ創業者で現名誉会長の稲盛和夫である。経営者といえばビジネスを有利に運ぶため、時の権力者にすり寄っていくのが通り相場だが、稲盛の場合「政権交代の緊張感のなさが政官財の癒着を生んでいる」と言い切り、早くから野党としての民主党を支持、政権交代を裏で支えた。小沢一郎とは肝胆相照らす仲で、小沢は「『政権交代可能な議会制民主主義を定着しないと日本の未来は危うい』と(稲盛氏は)ずっと言い続けてこられた」と稲盛の識見と行動力を絶賛している。

 稲盛はスポーツ界の指導者にも多大な影響を与えてきた。ベルリン世界陸上・女子マラソン銀メダリスト尾崎好美を育てた山下佐知子(第一生命女子陸上部監督)もそのひとりである。
 中学校の教員を辞して京セラに入社したのが1987年。監督の浜田安則ともども稲盛の薫陶を受けた。

 山下が稲盛に怒鳴られたのは退社を告げた時だ。「オマエは目標が小さいんだ!」。頭の上でカミナリが炸裂した。「鳥取の田舎から出てきて世界陸上(91年東京大会)で銀メダルを取り五輪(92年バルセロナ大会)でも4位に入った。なのに、なぜこんなに怒られなくちゃならないのか。怒ったあとで“オマエはグローバルな目標を持たないからダメなんだ”と説教されました。でも当時は分からなかったことが今は分かるんです。稲盛さんが常におっしゃっていた“グローバルな視点”という言葉の意味が…」
 また稲盛は山下にこうも言った。「あんた、指導者になるんだったら、選手の時の成績は神棚に上げておきなさい」。その教えを今も山下は忠実に守っている。「だから自分の時はああだった、こうだったって多くは言わないようにしているんです」

 8年かけて尾崎を世界のトップクラスのマラソンランナーに育て上げた。焦らず、慌てず、諦めずに。
 稲盛語録には、こうある。<楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する>。来年4月、愛弟子は五輪を見据えてロンドンを走る。(敬称略)

<この原稿は09年12月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから