プロレスラーの力道山が東京・赤坂のクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員と口論の果てにもみ合いとなり、ナイフで腹を刺されたのは1963年12月8日のことだ。その1週間後、突如として容体が悪化し、還らぬ人となる。享年39だった。
 力道山のマネジャーだった吉村義雄氏が著した「君は力道山を見たか」(飛鳥新社)によれば、「ニューラテンクォーター」へ出向く前、力道山は赤坂の料亭で相撲協会理事の高砂親方(元横綱・前田山)と酒を飲んでいた。アメリカ巡業を計画していた相撲協会の相談に乗っていたのだという。その後、運命の糸に操られるように、件の店に流れつく。<まぁ、世間の常識からすれば、力道山の振る舞いは落花狼藉と形容できるようなことだったでしょう。それでも、力道山といえばあのシャープ兄弟との対戦以来“日本の英雄”でしたから、多少ハメをはずして騒いでも大目に見てくれる向きが多かったのですが、もちろん粗野だといって眉をひそめる人もたくさんいました>(同書)

 横綱・朝青龍の酒をめぐるトラブルを聞くにつけ、私は力道山のことを思い出す。吉村氏によれば力道山は<いったん酒が入ると、歯どめがきかなくなって>しまったそうだが、朝青龍も同じではないか。泥酔して知人を殴り、鼻骨骨折などで全治1カ月の重傷を負わせていながら、本人は「酔っていて覚えていない」。酒乱もここに極まれり、である。もうひとりの横綱・白鵬が語っているように「力士の手は刀」なのだ。酔って暴走すれば、獰猛な凶器と化す。高砂親方は、いったい何を教えていたのか。

 力道山と朝青龍には共通点がある。朝青龍はモンゴル人、力道山は現在の北朝鮮の咸鏡南道の出身。ともに日本人ではない。力道山は大関を目前にして自ら包丁でまげを切り落とす。「協会の冷たい仕打ちに憤慨していた」と語っている。異国での葛藤や相克を酒で紛らわせていたのではないか。力道山は力士廃業後、プロレスラーに転身して国民的スターとなるが、皮肉なことに成功が増長を招く。まさに今の朝青龍を見ているようだ。

 朝青龍よ、酒をなめてはいけない。誰か力道山のことを教えてやってほしい。いつか取り返しのつかない事件が起きそうな予感がする。そうなってからでは遅いのだが…。

<この原稿は10年2月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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