ビデオテープを何度も見ると気づくのだが、仕切り線よりも後方から仕切ることによって確かに出足が鋭くなった反面、バタバタといささか慌ただしい。土俵の上を走っているような印象は、大関、さらには横綱を目指す力士にしては少々、安定感に欠けるのではないか。自分より一回りも二回りも大きな力士と戦わなければならないというハンディがあるにしても、である。
「立ち合い、ひとつだけ重大な欠点がある」
 そう前置きして、元関脇・栃赤城がビデオテープの貴花田の足元を指で差した。
「立ち合い、踏み込んだ瞬間、右足のツマ先がビーンと上を向く。これでは足指に力が入らない。相撲は5本の足の指で砂を噛むのが基本だからね。カカトは前傾姿勢でぶつかった反動で浮いてもいいが、ツマ先だけは絶対に浮かしちゃダメ。あれだけ足腰のいい貴花田が取りこぼしをする原因が、このツマ先に見られる」
 一例を示そう。優勝した秋場所での唯一の黒星は、大関・霧島に喫したもの。立ち合い、張り差しに行った瞬間、貴花田の右足ツマ先がスッと上を向いた。前に出られない貴花田。胸が合った瞬間、霧島の右内掛けがみごとに決まり、貴花田は腰から土俵に落ちた。

 この欠点に気づいていながら、貴花田は直すことができない。いや、気づいていながら直せないとなると、それは「欠点」ではなく「欠陥」だ。そして、それを最も危惧しているのが他ならぬ師匠の藤島親方である。
 九州場所、4日目の朝、福岡市東区にある藤島部屋の稽古場では、場所に入って初めて藤島親方の怒声が響いた。
「足に力を入れろ、親指に力だ。ツマ先、ツマ先」
 現場にいたスポーツ紙の記者が偶然、耳にしたセリフは、栃赤城の指摘とも偶然一致していた。要するに親指のツマ先が上を向くということは、当たり負けして重心を前にかけられなかったということであり、立ち合いの失敗を意味している。九州場所でも何番か親指のツマ先が上を向く立ち合いが見受けられた。

 ここで考えられるのは、貴花田の右足親指のツマ先は、彼の調子を判断する上でリトマス試験紙の役割を果たしているのではないか、ということである。上体が立つ、腰が高い、足が揃う、スピードがない。そういう失敗した立ち合いの時の右足親指のツマ先は、かなりの確率でスッと上がっているのだ。
 連敗中、「苦しみが足りない」と突き放していた親方が、見るに見かねて「ツマ先に力を入れろ」と怒鳴った裏には、「そこさえチェックしていればいつでも立ち直れるんだ」という間接的な教示も込められていたのではないか。親指のツマ先が上がれば、次いでヒザが割れ、最後に腰が流れる。逆に親指のツマ先がしっかりと砂を噛んでいれば、ヒザが締まり、腰が決まる。下半身のエネルギーを凝縮して、相手にぶつけることができるのだ。

 話は横道にそれるが、プロ野球・ドラゴンズの落合博満はスランプに陥った時、ホームベースに沿って、まずスタンスをチェックし、右足親指の位置を確かめる。スイングの軸である右足がブレるかブレないかは、ひとえに右足親指にかかっているというのである。
 右足親指の重要性。あながち偶然の一致とは思えない。
 貴花田が2つの立ち合いを使い分けていることは先に述べた。だが過去、名大関、名横綱といわれた力士で、相手に応じて立ち合いを使い分けた者はいない。早い話、立ち合いの方法が2つあるから迷いが生じ、中途半端になったりもするわけで、使い分けは文字通り諸刃の剣という言い方ができよう。

「貴花田が目指すとすれば双葉山のような力士だろうけど、双葉山は立ち合い、腰を割り、左手をおろし、相手が突っ込んできた一瞬あと、右足から踏み込んで右からおっつける。これ一点張りだから、立ち合いに迷うことは一切なかったそうです」(三宅充氏)
 双葉山といえば伝説の色に染められているのが「後の先の立ち合い」だ。相手よりも後に立ちながら、貫禄十分に受け止め、いつの間にか自分十分の体勢に移行するという王道相撲。相手が突っかけてきても“待った”は決してせず、引退するまで頑なにこの美学を守り通したという。

 さて、貴花田だが、彼の相撲を見ていると、確かに立ち合いに非常に神経を使っていることが窺える。だが、一歩間違うと、それは考え過ぎになりかねない。千代の富士は一歩踏み込むだけだったが、それでもものすごい圧力を相手に与えていた。
「走ってくる立ち合いは軽い上に、バランスもよくない。いずれ1つに決めるべきだと思う」(栃赤城)

 優勝した秋場所、面白いように決まった張り差しは、九州場所ではすっかり影を潜めた。失敗すれば、そのまま脇からまわしを取られかねない張り差しを封印したことは、将来を考えれば大きなプラス材料といえるだろう。立ち合いの変化も、ここ3場所ほど意識的に避けているように思われる。
 これには伏線がある。初優勝をとげた初場所の久島海戦、貴花田は立ち合い左にかわり、上手出し投げを打って後ろに回り込み、そのまま送り出した。
「まさか、立ち合いにかわるような力士とは思わなかった。がっかりした」という久島海の一言に、貴花田は大きなショックを受けたというのである。九州場所の4連敗も久島海戦での立ち合いの失敗がきっかけだった。なるほど貴花田の意識の底には、今も久島海の一言が突き刺さったまま残っているのかもしれない。

 いずれにしろ、貴花田の立ち合いは、場所ごとに様変わりを見せている。一年の掉尾を飾る九州場所では、変化も張り差しも見せず、ダッシュと双手突きに終始した。だが、これも成長途上の貴花田にとっては1つの実験に過ぎない。さらに鍛え上げられて足腰が強くなり、体重が140キロ台に乗れば、もっと風格のある立ち合いが見られるだろう。大器はそう早く自分の型をつくらないものなのだ。

<この原稿は1993年1月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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