念願の大関獲りは初場所に持ち越しになったとはいえ、貴花田が大鵬、北の湖級の逸材であることに異を唱える者はいまい。足腰が強い上に、まわしを切るのが途轍もなくうまく、先述した立ち合いの際の親指の向き以外におおきな欠点は見当たらない。完全無欠の素材といっていいだろう。
「何がいいったって、腰が高さとヒザの位置が終始一定なのがいい。攻めている時も、攻められている時も腰とヒザの位置を定規で計れば平行になっているはず。こういう力士は押されないし、投げられない。加えてヒジを支点にして、腰をくっと前に出すまわしの切り方は、習ってできるものじゃない。相撲は要するにバランスを崩しっこするゲーム。貴花田はもっともバランスを崩すのが難しいタイプ」(栃赤城)
「強いていえば、北の湖関のようなタイプ。相手が突っ張ると突っ張り返すし、四つにも組める。北の湖関のような根こそぎ相手を引っこ抜くようなパワーこそないが、下半身のねちっこさじゃ貴花田の方が上」(蔵間)

 二十歳を過ぎ、いよいよ完成に向かう貴花田に難敵は存在するのか。四つ相撲になれば、いつの間にか自分十分になれる貴花田に死角は見当たらない。注意すべきはやはり立ち合いだろう。突進力のある巨漢力士、例えば曙のようなタイプには苦戦を余儀なくされよう。九州場所では善戦むなしく、土俵際、曙の巨体に寄り倒されたが、曙の双手突きをはね上げ、一度は土俵際の危機をしのいで、逆襲に転じたあたりに成長の跡が窺えた。

 左四つでも取れるが、本来、貴花田は右四つの力士である。巨漢力士が多いため、どうしても左下手になりがちだが、やはり左上手をとって前へ出ていく相撲が理想の型だ。右は横みつを取りにいくクセがあるが、前に出るには前みつを取った方が有利だろう。
「前みつを取るには、急所を狙えばいいんです。下から叩くくらいの気持ちで取りにいくと、ちょうどいい感じで取れる。前みつを取る名人といえば元横綱の三重ノ海関だけど、稽古をすると必ずこちらの内ももが傷だらけになっていた。貴花田もそんな稽古を心がけるべき。それに差し身は若花田の方がうまいね。貴花田は差しにいったところを押されるけど、若花田は肩までスッと入れることができる。これはお兄ちゃんに教えてもらうべきだね」(蔵間)

 意外な新事実が1つ。幕の内に上がって14場所、貴花田はつり出しで勝った相撲が数えるほどしかない。父・貴ノ花がつり手の名手だったことから余計に意外な感じがしてしまう。これまでににも土俵際、つりがあれば楽にとどめを刺せるのだが、と思えるような相撲が何番もあった。将来、安定感のある大関、横綱になるためには、つり技は必須課目ではないのか。
「つりは背筋力と腰が基本。貴花田はそのどちらも備わっているように見えるが、それでもつれないところを見ると“つり腰”がないのかもしれない。つりを覚えれば、腰と上半身がさらに強くなるから一石二鳥なんだけど……」(栃赤城)

 もっとも父・貴ノ花の時代と比べると、幕内力士の平均体重が20キロ以上重くなっている。無理につりに行けば、腰やヒジを痛める恐れがあるため、あえて避けているのではないかと指摘する関係者もいる。そう言えば貴花田は、投げも安易には打とうとしない。九州場所では10勝のうち、投げ技で勝ったのはわずかに1番、千秋楽、琴錦戦での上手投げだけだった。翻って押し出しは3番もあった。
 強くなるためには投げに頼らず、今のまま押し出しや寄り切りでの決着を心がけた方がいいに決まっている。ケガもしないし、相撲に安定感も出てくるだろう。ただ、つり技や投げ技はいわば大相撲の華であり、そこを素通りしてもらいたくないと考えるのは筆者ひとりではあるまい。技は芸であり、それこそが身体文化たる相撲の真髄ではないのか。

 繰り返すが、素材、センス、体力、勝負根性、どれをとっても貴花田には超一流の輝きがある。立ち合いの項で述べたように、一場所一場所、工夫を重ね、弱点を克服していこうという真摯な姿勢にも好感が持てる。いたずらに投げに頼らず、また今後を考えて父親直伝のつりを温存しているとしたら、その将来性は計り知れない。慌てることなく目の前の課題を1つ1つ片付け、やがてはオセロゲームのように土俵上を自らの色一色に染め上げてしまうのだろうか。二十歳という年齢を考えた時、最大瞬間風速型の曙の出足が衰えれば、もはや敵は武蔵丸くらいしかいなくなるだろう。
 貴花田時代は、確実に長期に及ぶ。ブラウン管の貴花田と知的で有意義な関係を結ぶには、勝ち負けに一喜一憂するよりも、細部の技術を楽しむことである。

<この原稿は1993年1月号『月刊現代』に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから