工藤は言ったものだ。
「関川のスイングを観察していたら、どこが苦手でどこが得意か、どんなコースを待っているか、どんなボールを狙っているかすべてわかりました」
――スイングの中にバッターは何を狙っているか、そのヒントがあると?
「そうですね。ネクストバッターズサークルでのスイングで、どこを狙っているか大体わかりますよ。バッターは狙っているコースをイメージしてバットを振っていますからね。狙ってもないコースを振るバッターはいないでしょう」
――でも中には三味線をひいて、どこを狙っているかカムフラージュするバッターもいるのでは?
「そういうバッターに対しては投げながら考えます。基本的にアウトコースに落ちる球から入ればいいんです。これだとヒットにはなってもホームランになるケースは少ない。バッターの狙いを探りながら投げるのもピッチャーの仕事です。
――ピッチャーからすれば少しでもストライクゾーンを広く使いたい。ボール球で打ち取れればそれにこしたことはない。しかしアンパイアにはストライクゾーンの個人差がある。工藤さんは26年間もアンパイアとこうした攻防を行っているわけですが……。
「たとえば山なりのボールをポーンと投げて、ホームベースの後ろに落ちてもストライクゾーンを通過していればルール上はストライクのはずなんです。でも、おそらく審判はボールと判定するでしょう」
――ストライクゾーンは本来、奥行きのある直方体なんですが、キャッチャーがボールを捕った位置でストライクかボールかを判断するアンパイアが多いですね。
「ええ。ですから落差のあるカーブなどは年々、厳しくなっていますよ。その意味でピッチャーが考えるストライクゾーンと審判が考えるストライクゾーンには若干、認識の差があるかなァとは思いますね。最近、カーブを投げるピッチャーが少なくなったのは審判がストライクにとってくれないことと無関係ではないような気がします」
 45歳で先発のマウンドに立ち続ける工藤はまさに“生ける伝説”である。
 現在、シアトル・マリナーズで活躍する城島健二は工藤公康が育てたキャッチャーだと言っても過言ではない。
 城島が福岡ダイエーホークス(当時)に入団したその年に工藤が西武ライオンズから移籍してきた。ブルペンでのピッチング、工藤のカーブを城島はミットにおさめることができなかった。
 翌96年には、もうひとり移籍組のベテランがやってきた。武田一浩である。彼の変化球も城島はミットの芯で受けることができなかった。
 97年よりバッテリーコーチを務めた若菜嘉晴から、こんなエピソードを聞いたことがある。
「余程、工藤と武田に厳しく言われたことが悔しかったんでしょう。最初の頃、城島はベンチに帰ってくるなりボロボロ泣いてましたよ。でも、その姿を見た時“コイツはものになるな”と思いました。悔しいということは、それだけ上達したいという意識が旺盛だということですから……」
 キャッチャーを育てるには時間がかかる。メジャーリーグのようにほとんどピッチャーがサインを決めていたら、キャッチャーは成長しない。
 バッテリーを組み始めた頃、工藤は打たれることを承知で城島のサインどおりに投げた。福岡ドーム(現ヤフードーム)でのあるゲーム。一死無走者の場面で城島は工藤に「アウトコース真っすぐ」のサインを出した。
 工藤はバッターの構えや前の打席の状況から、そのボールを待っていることがはっきりとわかった。
「おっ、こいつは外の真っすぐを狙っているけど、まっ、いいか……」
 案の定、鋭い打球が内野手の間を抜けていった。
 次の打者をゲッツーに切って取り、なんとかピンチをしのぐ。ベンチに帰るなり、工藤は城島に言った。
「おい、なんでアウトコースの真っすぐなんだ? そこをバッターが狙っているのがわかんないのか?」
「…………」
「オマエなァ、前の打席のことを覚えてないのか。前の打席でどういう攻め方をしたか、良く考えてみろ!」
 前の打席、あるいは前の前の打席の攻め方を考慮せずして、配球を編むことはできない。配球とはいわば、サインの連結決算なのである。
 そのことを理解させるため、工藤はあえて自らが犠牲になることで、配球の大切さを教え込んだのである。

<この原稿は『本』(講談社)2007年7・8月号に掲載されたものです>
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