「キャンプの時と比べると随分、プロの打球になってきましたね」。そう問うと千葉ロッテの金森栄治1軍打撃兼野手チーフコーチは「わかりますか。そう言ってもらえるとうれしいなぁ」と返し、はにかんだ。
 視線の先にはルーキーの荻野貴司がいた。プロに入って金森から打法改造を命じられた。荻野に言わせれば「キャンプの頃は内野手の頭すら越せない」状態だった。今では左中間、右中間方向へ矢のような打球が飛ぶまでになった。「金森さんのおかげです。金森さんからは“ボールを引きつけ、下半身の力を使って打て”と口を酸っぱくして言われました。詰まってもいいから、しっかり振り切れと。社会人(トヨタ自動車)時代は腕でボールを迎えに行くことが多かった。要するに手打ちですね。このクセが出ると、すかさず注意されます」

 5月11日現在、打率3割3分1厘(リーグ2位)、1本塁打、17打点、21盗塁(同1位)。社会人時代から、その俊足ぶりは群を抜いていたが、プロでいきなりこれほどの率を残すとは思わなかった。もうパ・リーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーは決まったも同然だろう。

 この俊足巧打のルーキーにスイッチヒッター転向話が持ち上がったのはキャンプの頃だ。西村徳文監督も「そうなれば理想」と興味を示していた。
 俊足をいかすため、プロ入り後、右打ちからスイッチに転向した例は枚挙にいとまがない。柴田勲(巨人)、高橋慶彦(広島−ロッテ−阪神)、山崎隆造(広島)、正田耕三(広島)、平野謙(中日−西武−ロッテ)……。近年では松井稼頭央(西武−アストロズ)が代表格だ。
 言うまでもなく西村もスイッチ転向の成功例である。プロ1年目の秋から両打ちに挑戦した。左打ちの技術を習得するにあたり、1日1200回以上のバットスイングを自らに課した。その猛練習ぶりは今でも語り草だ。

 荻野に話を戻そう。スイッチヒッターになれば、内野安打が増え、もっと率を残すと考えるべきなのか。それとも転向案は封印し、今の打撃技術をさらに磨く道を選ぶべきなのか。いずれにしても西村にとって、これ以上の“うれしい悩み”はあるまい。

<この原稿は10年5月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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