2010年3月29日、都内で『第6回東京カープ会』が開かれた。約360人のカープファンと5人のパネリストが一堂に会し、熱い議論を交わした。
 今季のカープは4年間指揮を執ったマーティ・ブラウンが去り、赤ヘル魂の継承者である野村謙二郎を監督に迎えて新たなスタートを切った。新生カープは「12年連続Bクラス」という長い冬の時代にピリオドを打ち、春を迎えることはできるのか。
<協賛:萩森水産株式会社 明治製菓株式会社 株式会社すぐる 株式会社旭堂 株式会社やまだ屋 株式会社ソアラサービス 有限会社たけうち
二宮: では、会場から質問を。
――昨年は13連敗を喫するなど中日に全く勝つことができませんでした。選手の中に苦手意識があるのでしょうか?

二宮: 昔のカープは割と中日に強かったんですよね。でも、最近はずっと負け越しが続いています。
小早川: 結論から言えば中日の投手陣が良いということですね。そしてその中でも表ローテのピッチャーを落合(博満)監督は広島にぶつけてくるんです。それは(マーティー・)ブラウンと落合監督の間に確執があったから。

二宮: 落合さんも執念深いですね(笑)。
小早川: 4年前にブラウン監督が落合監督にいちゃもんを付けたんですよ。それから落合さんは表ローテのピッチャーを広島にぶつけるようになってきた。しかし負けているとはいえ、どの試合も接戦なんです。去年13連敗したときだって8回、9回まで勝っていたゲームが数多くありました。
 でも、リリーフのピッチャーが点を獲られて同点、あるいは逆転されることが多かった。決して戦っている選手たちは苦手意識があるわけではなくて、そういう展開になって負けているんです。チェン(・ウェイン)とか吉見(一起)、カープが特に苦手にしていた朝倉(健太)は確かに良いピッチャー。でも、打てないことはないという気持ちで選手も戦っていました。

二宮: それでは、次の方どうぞ。
――小早川さんは4年間カープで打撃コーチを務められましたが、その間に自分が残せたと思う成果は何ですか?
小早川: 成果を自分の口から言うのも何なのですが、やはり野球というスポーツは対戦相手との戦いです。でも、その前に自分たちの準備をしっかりしてから試合に臨むようにと。ことわざで言えば「備えあれば憂いなし」。しっかりした準備があれば気持ちの余裕も生まれて、良いプレーができます。僕は就任当時からそういうことを言ってきて、ある程度浸透したのではないかと思います。
 相手がいかなる強力な相手でも自分たちの準備をして、自分たちのやるべきことをやれば結果は後からついてくる。いい時もあれば、悪いときもあります。なので、結果に左右されずに自分の持っているものを精一杯ぶつけていきなさいと。この部分はしっかり伝えられたと思います。

二宮: 天谷は随分成長しましたね。彼の一番変わった点はどこですか?
小早川: しっかりモノを考えられるようになったことですね。彼はとにかく右も左もわからないで、ただガムシャラにやっていたんです。凄い向上心は持っています。よく練習しますし、向上心を持ち続けながらその日、その日を送っています。そういった中で、ただガムシャラに練習をこなすのではなく、どういう練習をすれば自分に身につくか。どういう選手になればいいのか。自分の足元を見つめることができるようになってきたということが、オープン戦で良い結果を残せた要因です。ここからが勝負だと思います。

二宮: この前、NHK広島で小早川さんと番組出演した時に「天谷は首位打者候補」と言いましたから、ぜひがんばってもらいたい。
 次は投手について川口さんへの質問を受け付けます。どうぞ。
――昔はカープも投手王国でしたが、近年はその面影もありません。これは投手の能力が原因なのでしょうか? それともキャッチャーのリードに問題があるのですか?

川口: 我々がいた頃は北別府(学)、大野(豊)、川口、長冨(浩志)、金石(昭人)など能力の高い選手がたくさんいました。それに昔はとてつもなく大変な練習量でしたが、その練習に耐えて「試合がこんなに楽なのか。毎日試合をやってほしいな」と思った時代がありました。私の持論としてチームの中で一番練習するのはピッチャーでなければいけないというものがあります。投手は野手に「このピッチャーで負けたらしょうがない」と思わせるような背中をみせないといけない。
 今年は巨人の臨時コーチをしていたため、キャンプを見にいけなかったので、投手陣がどれくらいの練習をしたのかはわかりません。でも極限まで自分を追い込まなければいけない。僕らの時代はキャンプで北別府さんが300、400球投げていました。僕も温かい日には250球とか300球投げていたんですが、やはり投げる体力は投げなければつかないんですよ。ブラウンが監督の時に「10分以上投げるな」っていうルールがあったでしょう。能力の高い人がそういう練習だったらいいけど、能力を高めるにはそれだけの練習をしないといけないと思っています。
 それにピッチャーはピンチの連続じゃないですか。ノースリーだってピンチだしノーアウト満塁だってピンチ。そういうところで練習してきたものをぶつけて、打たれたらまた次の日から練習をすると。僕はそういう風に安仁屋(宗八)コーチに言われてやってきました。ぜひ広島のピッチャーにはそういうスピリットを持ってほしい。大野さんはそれを伝えていると思いますけど、彼はベテランになっても若いやつらが追いつけないくらいの足の速さを持っていました。培ってきたものは財産となり、長く野球ができるんです。若いときにいじめなきゃ、長く野球はできません。そういう意味でももっと練習をして、能力の限界までもっていけるような量をこなしてほしいというのが僕の率直な意見です。

田辺: 川口さんのおっしゃることを、ここにカープの投手を連れてきて聞いていただきたいくらいなんですが、カープが弱くなった原因として伝統を継承する人が切れてしまったということが言われています。最後は黒田(博樹)投手でしょうか。その前に佐々岡(真司)投手がいましたが、今は若い人ばかりで見本となる人がいないんです。大野さんは現役ではないので、一緒にやってみせることはできない。その辺が難しいですよね。

(Vol.11につづく)
>>Vol.9はこちら

小早川毅彦(こばやかわ・たけひこ)
1961年11月15日、広島県出身。PL学園高から法政大に進み、東京六大学で三冠王を獲得。84年にドラフト2位で広島に入団。1年目からクリーンアップを任され、同年のリーグ優勝に貢献。新人王を獲得した。87年には巨人・江川卓から引退を決意させる一発を打つなど印象的な活躍をみせた。97年にヤクルトへ移籍。開幕の巨人戦で3打席連続本塁打を放ち、同年、チームは日本一に輝く。99年限りで引退し、06年からはマーティ・ブラウン監督の下、打撃コーチを務めた。通算成績は1431試合、1093安打、171本塁打、624打点、打率.273。







川口和久(かわぐち・かずひさ)
1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。



田辺一球(たなべ・いっきゅう)
1962年1月26日、広島県出身。スポーツジャーナリスト。カープ取材歴は20年以上にのぼる。“赤ゴジラ”の名付け親。著書に『赤ゴジラの逆襲〜推定年俸700万円の首位打者・嶋重宣〜』(サンフィールド)がある。責任編集を務めた『CARP 2009-2010永久保存版』も好評発売中。現在もプロ野球、Jリーグほか密着取材を行っている。スポーツコミュニケーションズ・ウエスト代表。福山大学経済学部非常勤講師。
>>責任編集サイト「赤の魂」はこちら






〇携帯サイト「二宮清純.com」ではHPに先行して、いち早く第6回東京カープ会の内容を配信しています。ぜひ、携帯サイトも合わせてお楽しみください。
◎バックナンバーはこちらから