「ウ〜ン、日本に帰ってきてビデオを見ると、足とか全然上がってないんですよ。キレは全然よくないんですけど、最後の決めでどうにか一本をとったって感じですね。
 やっぱり年齢は感じますよ。スタミナは確実になくなっているし、それを気持ちでどれだけカバーできるか。逆に気持ちさえ充実していれば、スタミナをカバーすることができる……」
 今年10月、イギリスのバーミンガムで行われた柔道の世界選手権・81キロ級に出場した吉田秀彦は、決勝でモルドバのフロレスクを破り、この大会、初めての優勝を飾った。
 しかも一本勝ち。伝家の宝刀内股の切れ味は、少しも錆びついていなかった。
 8年前を思い出す。
 バルセロナ五輪78キロ級に出場した吉田は、1回戦から6試合、すべて一本勝ちという離れ技で金メダルを獲得した。
 大声をあげて泣きじゃくり、誰彼なしに抱きつく吉田。しかし、それが心の底からのうれし涙でないことは、誰の目にも明らかだった。
 実はバルセロナに到着した翌日、吉田は71キロ級に出場する先輩の古賀稔彦と乱取りを行っていた。
「痛えっ!」
 古賀が、突然悲鳴を発してうずくまった。
 古賀の背負い投げに、吉田が返し技を出し、それを古賀がこらえようとして左ひざをひねってしまったのだ。
 一瞬のうちに、道場の空気が凍りついた。
 古傷ということもあり、古賀の左ヒザは曲がらず、「大丈夫、大丈夫……」と言って吉田を気使いはしたものの、監督やコーチの深刻な表情が、事の重大さを物語っていた。
 振り返って吉田は語る。
「正直言って、自分が金メダルを獲っても、ちっともうれしくなかった。古賀先輩のことがずっと気になっていました。
 なにしろ中学、高校とずっと一緒に釜の飯を食ってきた兄弟分ですからね。ふたりで金メダルを獲ろうと誓いあってきて、どちらか一方が欠けてもうれしくないでしょう。
 だから、決勝で判定になり、古賀さんの方に、旗が3本あがった時の気持ちといったら……。やはり強い星の下に生まれてきた人なんでしょうね。ある意味で、自分の金メダルよりもうれしかったですね」
 選手村に連れ立って帰ってきたふたりは、吉田の言葉をそのまま借りれば、「ただボーッとしていた」。体中が心地良い開放感に包まれた。
「どこかへ出かけることもなく、ふたりして部屋の中でじっとしていましたよ」
 その4年後のアトランタ五輪、吉田は階級をひとつ上げ、86キロ級に出場した。
 日本人として、初めての五輪2階級制覇がかかっていた。
 初戦(2回戦)の相手は、ルーマニアのクロイトル。
 結果は、子外掛けを決められまさかの一本負け。
 短い夏が終わった。
「もう負けたら鼻クソですよ」
 苦笑を浮かべながら、吉田は話し始めた。
「バルセロナの時は、勢いで(金メダルを)獲った。マスコミにも随分、持ち上げられました。
 しかし、負けたらもうボロカスですよ。確かに、練習量とか満足いかない部分はあったけど、オリンピックに臨むという意味では、キツさは同じですからね。
 でも、マスコミはそこまで見てくれないでしょう。負ければ、それまでやってきたことがゼロになってしまう。そういう厳しさを感じましたね」
 そこまで言って、吉田は一度、言葉を切り、虚空を見つめてポツリと言った。
「やっぱりオリンピックは、勝たなくちゃいけないんですよね」
 97年4月、吉田は母校、明治大学の柔道部監督に就任した。
 翌年10月には、母校を6年ぶり15度目の団体優勝に導き、指導者としても高い評価を受けた。
 全日本男子の山下泰裕監督から声を掛けられたのは、その直後のことだ。
「選手でやるのか指導者でやるのか。もしシドニーを狙うのなら“選手”を優先して欲しい」
 山下監督の要請を受けて選手一本にしぼり、シドニーに向けて動き始めた吉田は、その第一関門ともいうべき世界選手権で見事、優勝という、最高の結果を出した。
「予定どおりと言えば予定どおり。予想外といえば予想外。まわりの人も実はそれほど期待してなかったんじゃないでしょうか。今年のフランス(国際大会)でも負けていましたしね……」
 落ち着いた口ぶりで、吉田は言った。
 この9月で30歳になった。
 練習法も、長時間型から短時間集中型に切りかえた。
「長い時間ダラダラやっても、集中力を欠いていれば意味がないので、今は最初から飛ばせるだけ飛ばそうと。それでバテるまでやろうという考えです。
 要は考え方次第。しんどいと思えばしんどいけど、やろうと思えば工夫次第で、いろんなことができる。大切なのは気持ちだということです」
 自らに言い聞かせるように言い、こう続けた。
「実はね、アトランタが終わった時“柔道はもういいや”って一度、思ったんです。だけど、日本に帰ってきて普通の生活をすると、他にやることがないんですよ。
 僕のようにずっとスポーツをやってきた人間にとっては、スポーツは一種の麻薬のようなものなんです。あの試合の緊張感を一度味わってしまったら、それにかわるものを他の分野で見つけることは難しい。
 勝てばうれしいし、負ければくやしい。喜びもくやしさも全部、自分自身にはね返ってくるんです。そして、それは今しか味わえない。
 もし、柔道は何か? と問われたら、生活の中心、いや生活のすべてと答えますね」
 バルセロナ五輪の金メダルは、寮母さんに預けてある。
「見ることもないし、思い返すこともないですね」
 きっと今はまだ過去を振り返るような季節ではないということなのだろう。

<この原稿は2000年1月20日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから