今やかの 三つのベースに人満ちて そゞろに胸のうちさわぐかな

 四国で初めてのオールスターゲーム。
 四国霊場八十八カ所の五十一番札所・石手寺周辺を潤す石手川にかかる橋を渡ったあたりから、球場に向かう人々は足早になる。
 目の前には「坊っちゃんスタジアム」。言うまでもなく、松山を舞台にした夏目漱石の小説『坊っちゃん』にちなんで名づけられたものや。
 最寄の駅の愛称は「野球」と書いて「の・ボール」。先述した正岡子規の幼名「升」にちなんだもの。ここまでくると「ちょっと凝り過ぎやないか」という気がせんでもないが、野球にとってプラスになることなら、このまちでは何でもすんなり通ってしまうのである。
 このスタジアムは一昨年4月に完成した。グラウンドは両翼99.1m、中堅122m。収容人員は四国最大の3万人。外野が総天然芝というのが、郷土の人々の自慢である。
 計画当初はコスト面を配慮して人工芝にするという話もあったが、“日本のクーパータウン”とでも呼ぶべき松山市の住民の良識がそれを許さなかった。
「スライディングもできんような人工芝で、本当の野球ができるかいな!?」
「ドームや人工芝は、本物の野球のできる環境やない。あれは野球の墓場や」

 松山市は「日本一のまちづくり」を標榜しているが、あとのことはともかく、野球に注ぐ情熱と野球に対する見識だけは日本一じゃろう。下手なものつくったら、市民が許さへん。もちろん、野球そのものに向けられる視線も日本一、厳しい。「教育の一環」であるはずの高校野球だって、監督がちょっと下手でも打とうものなら、「オヌシは野球知ってるのか!?」とスタンドから容赦なく罵声が浴びせかけられる。
 そんな“愛のムチ”もあって、愛媛県の夏の甲子園の勝率6割6分2厘は、47都道府県中、依然としてトップ。かつては7割を超えていたのだから、郷土の人々が「野球王国」と胸を張るのも当然であろう。

「こら、ファウルにせんかい!」
 そのシーンを目のあたりにして、ワシの血圧は一気にはね上がった。手許に血圧計があったら、おそらくワシの血圧は200を超えていたやろう。
 件のシーンは外野スタンドの向こうの稜線が闇に消され始めた6回に起きた。アレックス・カブレラのキャッチャーゴロの判定、何や、あれは!!
 マウンドの上原浩治は、闘志を前面に出していた。その前のイニング、小笠原道大、タフィ・ローズ、中村紀洋を3者連続三振に切ってとった。ストレートは最速148kmを示していた。上原は明らかに、さらなる連続三振を狙っていた。目を見たらわかるワ。
 そして迎えたバッターがカブレラ。初球、ストレート。カブレラのバットが鈍い音を発した。打球は力無くコロコロとキャッチャーの前へ。微妙な間が一瞬、生じた。審判の判定はフェア。キャッチャーの矢野輝弘がファーストに送球し、アウト。上原もカブレラもキツネにつままれたような顔をしとったがな。

 審判の判定は正しい。
 一点の瑕疵もない。
 しかしやで、あそこで几帳面にジャッジをして、いったい誰が得するちゅうの? 暴論を承知でいえば、あそこでは「打球がバッターの足に当たった」とか何とか理由をこじつけてファウルにせんといかん。
 そこで仕切り直しをして、上原対カブレラの力対力の対決を、再度、観客に提供する。それは両人のみならず、球場に詰めかけたすべてのファン、そして、おそらくは日本中の野球ファンすべてが望んだことだったはずや。

 誤解を恐れずに言えば、日本の審判は、あまりにも生真面目で几帳面すぎるんや。融通がきかない。すなわち木を見て森を見ようとしない。プロ野球も興行である以上は、もう少しファンのニーズに応えるような“演出”を考えてもらわんと困るワ。
 メジャーリーグにおいて、たとえばピッチャーが6、7回までノーヒットに抑えていると、決まって審判はストライクゾーンを広くする。ファンの「ノーヒッターが見たい」というニーズにこたえようとしているんや。ボールかストライクか……きわどい球はほとんどストライクとコールするよ。
 これを不正とは言わん。球場を盛り上げるための“演出”である。審判は本来、裁判官でもなけらば市役所の戸籍係でもない。ゲームをすみやかに進行し、ところどころに“演出”をひそませるマネージング・ディレクターのはずなんやけど、日本人は物事を杓子定規にしか考えない。遊び方が下手クソやから困ってしまうんじゃ。
 ましてや、今夜はオールスターぞな、もし。そのくらいサービスしてくれても、よかろうが、Y主審!

 蛇足だが、愛媛には「よもだ」という方言がある。ああいえばこういうとか、素直に納得せず、気のきいた嫌味を言う子供に対し「アンタはよもだじゃのう」とか言って親が頬をつねったりするのだ。
 そういう土地柄だから、オールスターが終わっても、「ええもの見た」とか「さすがにプロやのう」とは誰もいわない。あたかも重箱の隅をつつくような口ぶりで、ゲームのディティールを嬉々として論じ、それをサカナに見ず知らずの人々が入り乱れて、夜が白むまで語り合う。それが、良くも悪くも、このまちの文化なんじゃな。明治も大正も昭和も、戦前も戦中も、戦後の高度成長期も、バブル崩壊後の今日も、このまちの人々はこうして生きてきた。そして、これからもこうして生きていくのだろう。

 九つの人 九つのあらそひに ベースボールの 今日も暮れけり

<この原稿は2002年8月1日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>
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