「オリンピック代表の監督はあくまでも反町(康治=前新潟監督)で、スーパーバイザー、総監督的な立場でオシムが……。あっ、言っちゃった」
 ドイツからの帰国記者会見の席で、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン(会長)はポロリと次期代表監督の名前を口にしてしまった。
 この“史上最大の失言”に対しては、メディアの側から「あれはW杯惨敗の責任隠し。マスコミの目を次に向けさせようとして、あえてポロリとやったのだろう」との憶測が流れた。
 もちろん川淵キャプテンは「一部で私がわざとオシムの名前を出したと言われているが、そんなことはありえない」と反駁したが、メディア側の反応は冷ややかだった。
 ドイツW杯でジーコ・ジャパンはわずか勝ち点1しかあげることができず1次リーグで敗退した。結果の上では惨敗だ。

 退任記者会見の席で“敗軍の将”は“兵”について語りまくった。
「ヨーロッパはとくにどのチームもセンターFWや前線でプレーする選手には190cm前後の選手が揃っています。ブラジルのアドリアーノなどがそうですが本当に上背があります。そういう選手と真剣勝負をやらなくてはいけない。勝ち点など結果を求められる場合、どうしても90分間持ち堪えられない」
「今回もオーストラリア戦終了後、宮本(恒靖)と話をしたら、いつも疲れる部分とまったく違う部分が疲れるという。というのは上背のある選手にロングボールを放り込まれると、どうしても身体に当てたり、相手のバランスを崩すためにジャンプが必要なわけです。それを何度も繰り返していると、ふくらはぎなどに負担がかかる」
「私はこの年(53歳)でもフィジカルの強さで宮本にも中澤(佑二)にもボールを取られない自信がある」
 ジーコの言うことは、いちいちもっともなのだが、それは最近になって浮上してきた日本代表の弱点ではあるまい。「何をいまさら」という気になったのも事実である。
 にもかかわらず代表チームのロジスティクスを担当する技術委員会は、「彼(ジーコ)はいままでの経験を出してくれたと思う。こういう選手交代で負けたという分析はあまり意味がない」と敗因についての言及を避けた。

 気になるのはドイツW杯の総括に関して、ややもすると消極的に映る協会の姿勢だ。ジーコ・ジャパンはなぜ弱かったのか、なぜ脆かったのか。この敗北を次に生かすためには、きちんとドイツでの10日間を分析し、敗因を突き止めなければならないのだが、病巣にメスを入れる気配はいまのところまるでない。
 もちろん敗因は一つや二つではない。いくつかの要素が複雑に絡み合っているケースもある。惨敗の理由を解き明かすのは容易ではない。
 サッカーにおいて“たら・れば”を言い始めると、それこそ切りがないのだが、前号でも書いたように柳沢敦と高原直泰の2トップが初戦のオーストラリア戦、2戦目のクロアチア戦で1点でも取っていれば、少なくともあのようなブザマな結果にはならなかったはずだ。その意味で2人の不振は高くついた。FWの決定力不足を敗因の一つにあげることにためらいはない。

 ところが、サッカー界には“喉元過ぎれば熱さ忘れる”という体質の御仁が少なくない。先日も、あるJリーグの関係者に「二宮さん、戦犯探しはもうやめましょうよ」と言われた。
 選手がかわいそうなのはわかる。だが、そこをなおざりにするすることが選手の将来においてプラスになるのか。いま、お茶を濁すとまた次で同じ轍を踏むことになるのではないか。
 FWが育たないのは、いったい何が原因なのか。そこをしっかり突き止め、対策を講じるのが賢者の仕事ではないのか。
 あえて言えば「戦犯探し」と「敗因探し」は別物である。何も私は特定の誰かを“魔女狩り”のように吊るし上げようとしているのではない。代表チームが惨敗を喫した以上、その原因を分析するのは当たり前のことだ。選手はプロなのだから“実名報道”に消極的になる必要もない。いま、「敗因探し」をやらなくて、いったいいつやるのかと言いたいだけなのだ。
 ところが協会内にそうしたセクションは存在しない。つまり代表チームについては事実上、協会トップに丸投げ状態であり、総括も検証もできないのだ。これはシステム上大きな欠陥であると私は考える。

<この原稿は2006年9月号『月刊現代』に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから