サッカーにおける誤審といえば、真っ先に思い浮かぶのが1986年、メキシコW杯準々決勝、アルゼンチン対イングランド戦のディエゴ・マラドーナによる“神の手”だ。
 両軍スコアレスの後半6分、イングランドのGKピーター・シルトンと競り合ったマラドーナは“ヘディング”でゴールを決めた。シルトンは「ハンドだ!」と激しく抗議したが認められなかった。
 しかしVTRで確認するとマラドーナは故意に左手を使っていた。通常なら一発退場になってもおかしくないケースだ。この試合はマラドーナの伝説の“5人抜き”もありアルゼンチンが2対1で勝利し、そのまま頂点に駆け上った。

 マラドーナが真実を告白したのは16年後だ。自伝で<何が神の手だ! あれはディエゴの手だったんだよ>と書いた。アルゼンチンのテレビ番組では「早く来て自分を抱き締めないと、審判が得点を認めないぞ」と同僚に呼びかけたエピソードまで披露した。
 だが私見を述べれば、あれを単なる誤審とするのはレフェリーに気の毒なような気もする。レフェリーの目を上回る技術をマラドーナは持ち合わせていたと考えるべきではないか。「ディエゴの手」ではなく「神の手」のままにしておいた方が、サッカーが持つ魅力のひとつである神秘性はより説得力を増す。メキシコ大会におけるマラドーナは神の化身だったと思いたい。

 一方で、お話にならないような誤審もある。たとえば2002年日韓W杯の準々決勝、韓国対スペイン戦におけるスペインの幻のゴール。0対0で迎えた延長前半1分、スペインのMFホアキン・サンチェスのクロスをFWフェルナンド・モリエンテスがヘッドでピシャリと合わせた。見事なゴールに見えたが副審はクロスを上げる前にボールがゴールラインを割っていたと判断した。しかし実際は、ライン手前からクロスが上がっていた。結局スペインはPK戦で敗れた。
 このケースを含め、日韓大会では誤審が続出し、ついにはFIFA(国際サッカー連盟)のゼップ・ブラッター会長も「経験の浅い審判がミスをしており、特に韓国側での試合に誤審が多い。判定に携わる人間も豊かな経験が求められる」と審判批判を口にせざるを得なくなった。
 またサッカーの英雄ペレは「過去にも大きな問題となった誤審はあったが、これほど多くの誤った判定が出たことはなかった」と失望を口にした。
「韓国は審判を買収しているのでは……」との疑惑が持ち上がった大会でもあった。

 こうした反省を踏まえ、FIFAは10-11シーズンからの欧州カップ戦では審判を2人増員し、5人制を試験的に導入した。
 これまでサッカーの審判はピッチ上を自由に動き回る主審とピッチの外側からオフサイドやサイドライン付近の判定を行う副審2名によって試合を裁いてきた。審判を2人増員する理由についてFIFAは「審判の目を増やし、正しいジャッジができるようにしたい」と語っている。ちなみに増員される2名の仕事場は、際どい判定が多いペナルティエリア付近とゴール前を見張れるよう両ゴール横になった。
 国際サッカー評議会(IFAB)は3月5日、来年行われる欧州選手権本大会も審判5人制を導入することを決めた。

 せっかくの改革案に水を浴びせ掛けるわけではないが、審判が2人増えたからといって誤審が根絶されるわけではあるまい。誤審撲滅を真剣に考えるならビデオ判定を導入すべきだ。それができないのなら「誤審もサッカーの一部」と考え、多少のミスには目をつぶるべきだろう。サッカーにとってはどちらがいいのか。まずは、そこをきちんと議論すべきだ。審判5人制はFIFAの腰が定まっていない証拠のように私の目には映る。

<この原稿は2009年6月11日付『電気新聞』に掲載された内容に加筆したものです>

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