通算868本塁打の王貞治が初めてホームラン王に輝いたのはプロ入り4年目、1962年のシーズンである。この年、38本塁打を放った王は、それ以降、13年連続でキングの座を独占した。
 前年、127試合に出場しながら13本塁打に終わった王が大変身を遂げたのには理由があった。少年時代に左打ちへの転向を勧めた荒川博が巨人の打撃コーチに就任したのである。荒川が授けた技術こそ、その後、一世を風靡することになる「一本足打法」であった。

 荒川は語ったものだ。「参考にしたのは実はベーブ・ルースのフォームなんだ。打つ時のタイミングが好きで、オレも大学時代は一本足で結構、打球を飛ばしていた。これに武道の基本が加わった。お師匠さんは合気道の植芝盛平先生。大切なのは臍下丹田を意識すること。要は座禅と一緒。目とボールの間にバットを入れる。ここが大事なんだ」。王と荒川の二人三脚は9年にわたって続いた。

 フォーム改造、そして4年目の開花。過日、札幌で「世界の王」との共通点について告げると浅黒く日焼けした丸刈りの青年は「へぇー、知りませんでした。頑張らないといけませんね」と目を丸くして言った。

 王貞治がベーブ・ルースなら、こちらはアルバート・プホルス(カージナルス)ばりだ。言わずと知れた10年連続打率3割、30本塁打、100打点以上のメジャーリーグを代表する強打者。広いスタンスと飛び抜けて速いスイングが彼のトレードマークである。

 ファイターズ・中田翔の打撃フォームを見た時、てっきりプホルスのフォームをモデルにしているのかと思った。重心を下げ、ほぼノーステップでバットを振り抜く。これにより安定感が増し、打球が広角に飛ぶようになった。プホルスと比べるのは酷だが、スイングスピードは日本人の中では突出している。

 5月25日以来、4番に定着し、チャンスでクラッチヒッターの本領を発揮している。オールスターゲーム初出場も濃厚だ。参考までにいえば王貞治はプロ入り4年目のオールスターゲームで、球宴初ホームランを記録している。験を担ぐわけではないが、こうしたデータも中田には励みになるのではないか。

 清原和博がユニホームを脱いで以降、「お祭り男」の不在が続いている。襲名披露といきたい。

<この原稿は11年6月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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