北京五輪予選を兼ねた「アサヒスーパードライチャレンジアジア野球選手権2007」で優勝し、五輪出場を決めた星野仙一監督率いる日本代表チームが4日、開催地の台湾から帰国した。成田市内で会見を開いた星野監督は「私からは何もいうことはない。選手の必死の形相を見て泣けてきた。うれしかった」と激戦を振り返った。
(写真:安堵の表情を浮かべながら語る星野監督)
「興奮は通り越していた。つらかった。勝負とはこんなに苦しいものなのかと。今まで何千試合と経験してきたが、初めてああいう経験をした」

 1つも負けられない国際大会のプレッシャー。さすがの闘将にも、それは重くのしかかっていた。韓国戦の息の詰まるような1点差ゲーム、台湾戦でのまさかの逆転ホームラン……。しかし、選ばれし24人の精鋭たちが、すべての逆境をはねのけた。

「選手に謝謝(シェイシェイ)と言いたいね」。星野監督は会見中、感謝の言葉を何度も口にした。「しんどかった」(巨人・阿部慎之助)、「(4番として)口では言い表せない重圧があった」(広島・新井貴浩)。言葉こそ国を背負って戦う苦労を物語っていたが、会見場にそろった星野ジャパンの面々は皆、晴れやかで充実感を漂わせていた。

 宮本慎也キャプテン(東京ヤクルト)は「韓国戦は今までの国際大会で一番つらかった」と明かした。攻撃時は1塁コーチとして走塁のアドバイスをし、守備時はベンチから守備位置の指示を行うなど、プレーイングコーチ的な役割を果たした。「試合に出ていないのに体が張っていた」。ベンチもグラウンドも一体となって戦っていた何よりの証だった。五輪本番に向けては「野球最後の五輪と言われているが、次の第一歩になる大会かもしれない」と悲願の金メダルを目標に掲げた。

 投手陣をまとめ、自らもクローザーとしてチームに貢献した上原浩治(巨人)は「ピッチャー陣は(最終候補の)14人から始まって、最終的に5人がメンバーから落ちたという複雑な気持ち」で予選に臨んだ。それだけに「14人で戦ったという気持ちをみんなに忘れてほしくないという思いで戦ってきました。本当に3試合勝ててよかったな」と喜びを表現した。

 予選突破を決めた台湾戦は完全アウェーの中での登板だったが、「甲子園の阪神−巨人戦の応援が世界で一番すごい」と気にならなかったという。最後にキャプテン役として大変だったことを訊かれると、「居酒屋とゴルフ場の予約が大変だった」と語り、全員を笑わせた。

 星野監督は「両キャプテンに我々がやらなきゃいけないことまで、しっかりとサポートしてもらった。選手でありながら、首脳陣、コーチという役割をやっていただき、本当に感謝しています」と2人の労をねぎらった。

 予選のためにそろった今回のメンバーは一旦、解散する。次はいよいよ、来年8月の本大会だ。「来シーズンも元気よく野球界を盛り上げて、みんなで集まってほしい。そしてみんなで(世界を)ビックリさせるぞ」。星野監督からは力強い宣言が飛び出した。

 北京でセンターポールに日の丸を――。つかの間の休息を経て、星野ジャパンにまた新たな戦いがスタートする。