不可解な監督解任劇はメジャーリーグにおいても珍しいことではない。たとえば1970年代最強のチームと呼ばれたレッズの名将スパーキー・アンダーソンは78年オフ、日米野球から帰国直後、突如、解任された。スパーキーが来日している間にクーデターは水面下で着々と進行していたのだ。
 二人三脚でチームを強くした信頼できるパートナーだったディック・ワグナーから直々に「クビ」を通告された時のショックは察して余りある。「ブルータス、お前もか!」という心境ではなかったか。
 このように首をかしげざるを得ない解任劇は多々あるが、MLBで観客数の動員減がその理由にされたことは寡聞にして知らない。弱くて客が入らないのならともかく、強くても観客数が伸び悩んでいるのなら、その責任は一義的にフロントにある。
 元西武監督の森祇晶は、94年にリーグ5連覇を果たしながら、監督の座を追われた。9年間でリーグ優勝8回、日本一6回と驚異的な成績を残したにもかかわらず、だ。「解任」の理由のひとつが観客動員数の減少だった。
 それに対する森の反論はきわめて明解だった。「監督本来の仕事とはチームを束ね、人を育て、チームの勝利を追及すること。それのみと言っても過言ではない。本来、監督の人気で客を呼ぼうなどというのはフロントの怠慢。観客の足を球場に向けさせるのはフロントの仕事であって監督の仕事ではない」

 さて落合博満である。なぜ「解任」なのか、私は未だに腑に落ちない。確かに中日の観客動員数は08年をピークに減少の一途をたどっているが、果たしてそれは指揮官が負うべき責任なのか。
 ファン感謝デーをスッポかした。不仲の記者とは口も利かない。気安くサインに応じない。天上天下唯我独尊。いったい何様のつもりだとの批判はよく耳にするが、「だから解任やむなし」との論調には違和感を覚える。かくいう私も無視されたこと数知れずだが、至近距離でのあの無味乾燥な緊張感はなかなか味わえるものではない。それだけでも得難い人物だ。

 スパーキーはその後、タイガースに転じ、両リーグでワールドシリーズを制した史上初の監督となった。能力を否定されての「解任」でない以上、落合劇場にも必ず第二幕はあるはずだ。

<この原稿は11年10月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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