日本バスケットボールリーグ(JBL)の5年目のシーズンが開幕した。9月のアジア選手権では男子日本代表がロンドン五輪の切符を獲得できなかった。30年以上、五輪から遠ざかっている男子バスケット界を強化するためには、bjリーグを含めた国内リーグの活性化が必要不可欠である。
 そこで期待がかかるのが、NBAのコートを経験した田臥勇太だ。08-09シーズンからJBLのリンク栃木に加入し、その翌シーズンにはチームを初優勝に導いた。今シーズンも司令塔としてチームを牽引する。
 日本バスケット界の“顔”である田臥が感じた本場・米国との違いを、2年前の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2009年3月号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 背番号は0。
 文字どおり、ゼロからのスタートを意味している。
 日本人初のNBAプレーヤー、田臥勇太は今季からJBLでプレーしている。
 所属チームは今季から参戦したリンク栃木。出来たてホヤホヤのチームだ。
 なぜ日本に? そして栃木に?
「今まで(アメリカでは)プレータイムが思うほど得られる状態ではなくて、もっと試合に出たいという気持ちが前よりも強くなっていた。
 そういうタイミングで栃木からオファーがあった。加藤三彦(当時)は高校(能代工高)時代の恩師で、自分のバスケットを一番よくわかってくれている。
 しかもシーズン途中でもアメリカやヨーロッパからオファーがあれば移籍することができる。今までの日本にはない契約をしてもらえた。自分のチャレンジを理解し、応援してくれるというのも魅力でした」
 昨年9月、入団記者会見の席で田臥は「圧倒的なスタッツを目指したい」と目標を口にした。
 スタッツとは「個人成績」のことで「それだけのものを残さないと(NBA)のスカウトの目に留まらない」という危機感があった。
 彼はまだ夢を諦めたわけではない。夢を再構築するための中継所として栃木を選んだのだ。

 田臥が初めてNBAのコートに立ったのは2004年11月3日(現地時間)のことだ。
 フェニックス・サンズの開幕メンバーに名を連ねた田臥は第4クォーター2分でコートに入る。
 相手はアトランタ・ホークス。95対55と40点リード。この大量リードが日本人ルーキーにチャンスを与えた。
 記念すべき日本人初得点は6分33秒、フリースローであげた。その1分半後には得意のスピードをいかしたプレーで3点シュートを決めて見せた。
 田臥は出場した10分間で7得点を記録した。悪くないデビュー戦だった。
 試合後、彼は「やるべきことのできた10分間だったと思う」と言って胸を張った。
 しかし、この1カ月半後、彼はチームから解雇を言い渡される。結局、NBAには開幕戦を含めて4試合しか出場することができなかった。しかも、そのすべてが途中出場だった。

 振り返って、田臥はこう語る。
「あの頃は“夢の時間”というものを感じていたと同時に危機感も背中合わせでした。ひとつの試合が終わったら、またサバイバル。うかうかしていると、すぐに取り残されてしまう。
 だから練習の時からミスはできない。試合に出れば、短時間でも自分のいいものを全部見せなくてはいけない。
 ひとつでも監督の信頼を失うと、すぐにカットされてしまう。その意味では全く生きた心地がしなかったですね」
 生き馬の目を抜く世界とはこのことだ。誰かをあげれば、誰かが落ちる。12人のメンバーに名を連ねながらも、田臥は常に解雇の恐怖と戦っていた。

 1年後、再び田臥にNBAのコートに立つチャンスが巡ってきた。ロサンゼルス・クリッパーズとの契約に成功したのだ。しかし、開幕直前にカット。もう一歩のところで、田臥の夢は潰えた。
「でも、あの時はさほど、ショックではなかった。結構、やり切ったという気持ちがありましたから。これで落とされたら仕方がないな、と思うくらいのプレーはできていた。結果的にNBAのコートには立てなかったけれど、フェニックスの時よりも充実感はあったかもしれない」
 身長173センチ。平均身長が2メートル以上のNBAにあって、このサイズはポイントガードというポジションにあっても極めて小さい。アメリカではサイズの壁に随分、泣かされた。
「自分は小さいのでベタベタくっついていく。自分をはねのけるためにファウルぎりぎりで押されたり突き飛ばされたりというのは、もうしょっちゅう。いざコートでプレーしていると、そこまで相手の大きさは感じないのですが、写真で見ると“こんなにも違うものか”と。
 差別用語? それはありませんけど『トゥー、スモール』とか『ウィーク』と言われたことは何度かありますね。

 6季ぶりに日本のコートに戻ってきた。日本のバスケットは成長したのか?
「アメリカの選手よりも日本の選手の方がよく走ります。向こうではアメリカ人にない自分の持ち味、つまりスピードや俊敏さで勝負できるんです。
 ところが日本だと同じタイプの選手とのマッチアップになってしまう。自分と同じ持ち味を相手も持っていたりすることが多いんです。だから差をつけるという意味では、アメリカでやってきた経験をうまく利用するしかないかなと。
 相手には“NBAを経験している田臥か! ふざけんな!”というくらいの気持ちでやって欲しい。それくらいやってくれないとお互いのレベルアップにつながりませんから」

 現在(2月1日)、リンク栃木は12勝15敗の5位。初陣としては善戦している方ではないか。
「前よりは良くなっています。チームって一朝一夕でうまくいくものではありませんが、決して勝てないチームではない。
 課題があるとすれば、これは日本の選手全体に言えることですが、もっと熱さを表現して欲しい。向こうではたった1本のシュートを打つにしても、ものすごく気持ちがこもっているんです。そういうものを伝えていきたい」
 今でもNBAの試合は毎日欠かさずチェックしている。
「自分が出たらどうやって局面を変えられるか。そういう感覚で見ていますね」
 NBAで感じた「夢の時間」はまだ止まっていない。
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