大関・把瑠都のようにケタはずれの突進力があるにもかかわらず、立ち合いでヒョイと体をかわすのは、どこか姑息で横綱を目指す上でいかがなものかという気もするが、だからといって立ち合いでの変化を全て否定するつもりはない。
 相手は何をしてくるかわからないという不安が土俵上の緊張感を担保している面もあるのではないか。大相撲解説者の舞の海秀平さんは「最近は立ち合いで変わられると、それについて行けずバタッと前に倒れてしまう力士が多い。負けた側の油断や足腰の弱さこそ責められるべきではないか」と語っていたが、私の考えもこれに近い。体格で劣る力士が巨岩のような相手に一泡吹かせようとすれば、多少の“ゲリラ活動”も必要だろう。当たって砕けるだけが相撲ではあるまい。

 さて導入が検討されているセ・リーグの予告先発制である。贔屓のピッチャーが登板する試合を観戦したい、というファンのニーズを考えればセ・リーグもそろそろ重い腰を上げるべきなのだろうが、それによる副作用にも気を配るべきだ。言うまでもなく戦力格差はパ・リーグよりもセ・リーグの方に顕著である。予告先発制を導入することで格差の拡大にさらに拍車がかかりはしないか。事実、4年連続最下位の横浜DeNAの友利結投手コーチは「ウチは手の内を見せられるレベルにない」と反対を表明している。

 予告先発制の導入は相撲で言えば立ち合いの変化を禁じるようなものである。正々堂々と言えば聞こえはいいが、相手はどう出てくるか、どんな策を用いるかという読み合い、探り合いの醍醐味が損なわれるのは少々、寂しい。時には立ち合いでのはたき込みや蹴たぐりもありだろう。それがグラウンドにピリッとした緊張感をもたらせることにもつながる。

 源平合戦での一ノ谷の戦いしかり、桶狭間の戦いしかり、バルチック艦隊を撃破した日露戦争における日本海海戦またしかり。古くから日本人は知略に基づいた一点突破型の戦いの物語を好む。ゆえに人気のある武将や軍人と言えば、いつの時代でも源義経や織田信長、秋山真之ら戦略に長けたリーダーが上位を占める。球界における改革も、こうした古(いにしえ)の美風を尊重するものであって欲しい。

<この原稿は12年2月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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