「私はもう野球選手じゃないんで」。キャンプ中のひとコマ。カープの前田智徳は自虐的に語ったという。いかにも前田らしいなと私は苦笑を浮かべてしまった。あれはもう15年も前のことだ。
 右足アキレス腱を断裂してしばらくして会った際、面と向かって彼はこう言った。「前田智徳は、もう死にました」。そしてぶっきらぼうに続けた。「いっそのこと、もう片方(のアキレス腱)も切れんかなと思うとるんです。両方切れるとバランスが良くなるんじゃないかと思うてね」

 冷静に見ているつもりでも、つい感情移入してしまう選手がいる。私にとってはそれが前田智徳という男だ。余計なことは一切しゃべらない。みだりに笑顔を見せない。ファンやメディアに媚びない。しかし、ひとたびバットを握れば、見ている側が固唾をのむ。打席での作法が美しいのだ。

 去る16日に他界した戦後を代表する思想家・吉本隆明の代表作『言語にとって美とはなにか』をもじっていえば、「打撃にとって美とは何か」を教えてくれたのが前田だった。比喩ではなく彼の打球は糸を引く。その美しさに何度酔いしれたことか。難易度の高いボールを一振りで仕留める彼の打撃には居合抜きの達人のごとき趣がある。

 孤高の天才だけに“伝説”には事欠かない。これは高校(熊本工)時代のエピソード。3年の夏、甲子園に出場した前田は初戦の初打席でセンター前タイムリーを放った。“事件”が起きたのは、ここからだ。ベンチに戻るなり、彼はやにわにうつむき、おいおいと泣き始めた。監督が「頼むから守備についてくれ」となだめると、前田は即座に吐き捨てた。「ヒットの内容が気にくわん」。監督は語ったものだ。「あとにも先にもこんな高校生、彼以外にはひとりもおらんでしょう」

 プロに入ってからは伊藤智仁(現東京ヤクルト投手コーチ)との名勝負が忘れられない。プロ1年目、防御率0.91で新人王を獲得した年の高速スライダー、あれは90年代のビンテージだった。その伊藤をもってして「最強のバッター」と言わしめたのが前田である。「本気になったアイツには何を投げても通用しなかった……」

 ロウソクの炎は燃え尽きる前が一番美しいという。カクテル光線の中、余韻を残しながら糸を引く美しい打球を、このシーズン、しかとこの目に焼き付けておきたい。

<この原稿は12年3月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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