日本カヌー界悲願のメダルへ、もっとも近い選手がいる。3度目の五輪出場となる北本忍だ。過去の2大会では、アテネでカヤックフォア500メートル9位、北京は同フォア6位、ペア500メートル5位と着実に成績を上げてきた。
(写真:4月の代表壮行会では「3回の五輪のうち、一番メダルへの意識が強い」と意気込みを語った)
 五輪の女子カヌー競技にはスラロームとスプリントの2種目がある。スラロームは、いわゆる川下りレースだ。急流に設置したゲートを順番にくぐり、そのタイムを競う。一方、北本が専門にしているスプリントはフラットウォーターレーシングとも呼ばれる。その名称が示すように、湖などの静水面に設けられた直線コースを漕ぎ、そのタイムで順位を争うのだ。ちなみにカヤックは水の浸入を防ぐため、デッキ部分が閉じられているタイプのカヌーで、左右両方にブレードのついたパドルを体の前で回転させて水をかき、前へ進める。

 世界との差を感じたアテネ

 武庫川女子大に進学してカヌーに取り組んだ北本が初の大舞台を経験したのは27歳の時だ。アテネ五輪でペアとフォアの2種目に出場した。ペアでは準決勝敗退だったが、フォアでは決勝進出。同種目では日本勢初の快挙だった。しかし、9艇で争った決勝は最下位に終わり、入賞を逃す。
「準決勝では最高のレースができたのですが、そこで私たちは力を使い果たしてしまった。決勝では余力が残っていなかったんです」
 全力は尽くしたものの、世界との差は簡単には埋まらない。世界のレベルの高さを実感した初の五輪だった。

 カヌー競技において、体格の小さな日本人はパワー面でどうしても外国人選手に劣る。また体重の軽さは、前からの空気抵抗に対し、カヌーのスピードを落とす要因になる。それまで世界と戦うことへコンプレックスを抱いていた北本にとって、ひとつの転機になったのは、アテネ後、代表監督に就任したイスパス・オクタビアン・バシルとの出会いだ。

 カヌーが盛んなルーマニアからやってきた指導者は、海外合宿を増やし、世界の強豪選手と練習する機会を数多く設けた。
「海外の強い選手はもともと速いのではなく、厳しいトレーニングをしているからこそ速いんだと気づきました」
 最初は世界のトップレベルのスピードについていけず、練習参加を断られたこともあったという。しかし、それでも必死でくらいついていくうちに、徐々に同じメニューをこなせるようになった。
「練習でついていけるなら、大会でもついていける。それで世界と戦える手ごたえを少しずつつかめましたね」

 パドルは“押す”ではなく“抑える”

 オクタビアン監督は就任直後から、「日本カヌー界に初めてメダルをもたらす」と宣言してきた。世界と対等に戦うための技術指導は驚きの連続だった。
「パドルはプッシュするものではなくプレスするもの」
 監督からはそう教わった。当然のことながら、カヌーを進めるためにはパドルを動かさなくてはいけない。「押す」のではなく「抑える」という指導は矛盾しているようにも聞こえる。
(写真:昨年のロンドンでの五輪テストイベント 提供:公益社団法人 日本カヌー連盟)

 その意図を北本は次のように説明する。
「カヌーを動かすには、パドルで水をしっかりつかまないと前にいきません。ところがパドルを空中で押すことを意識しすぎると、水中ではパドルが返ってしまって、かききれません。だから空中ではバトルを抑えて、しっかりパドルを水中で引ききることを重視する。それによって、体ごとカヌーを前へ持ってくるんです。だから“プッシュ”ではなく“プレス”が大切なんです」

 フィジカル面で劣る日本人が世界を制するにはテクニックが重要――それはカヌーも例外ではない。オクタビアン監督とは「ひとかきで、いかにカヌーを効率よく前へ進めるか」を追求してきた。
「パドルを水に入れた場所から、水から抜くまでまっすぐ出す。それが一番、カヌーをまっすぐ進めるための理想のパドリングです。監督からも、ずっとそのことを言われています」
 
 世界と渡り合う経験と技術を体得して、迎えた4年前の北京五輪。北本はシングル、ペア、フォアと3種目に出場した。シングルでは準決勝敗退だったが、ペアとフォアでは決勝にコマを進めた。竹屋美紀子と組んだペアでは決勝のレースでオクタビアン監督から授かったメダル獲得への“秘策”を実践した。最初の50メートルでスタートダッシュすると、さらに70メートル地点からスパートする2段階加速で勝負をかけた。これが見事に決まり、250メートル地点では4位。メダル圏内まであとわずかのところまで迫った。ところが、そこからが及ばず、最終的には3位と1秒163差の5位。過去最高の成績とはいえ、北本には悔しさしか残らなかった。

 新種目の採用が追い風に

「これが敗因というものはないんです。ミスもなく、自分たちとしてはほぼ完璧のレースができた。すべてがうまくいったはずなのに、メダルには届かなかった……」
 負けた原因が分かれば、そこを改善してもう一度、という気持ちになる。しかし、敗因が分からなければ、次なる課題を見出すことができない。

「それまで北京五輪だけを目標にしてきましたから、その後も練習は続けていましたけど、どことなく気持ちも乗らず、うまくいかない状態が続いていました」
 新たな目標を見失いつつあった北本だが、翌09年5月にはW杯(チェコ・ラシセ)でシングル500メートルで日本人初の優勝を果たす。
「これで結果も出なかったら、競技をやめていたかもしれません」
 悪いなりにも結果が出ていたことが唯一の支えだった。

 そんな折、再び彼女のモチベーションに火をつける朗報が飛び込む。五輪でのシングル200メートルの採用だ。体重が軽い分、スタートダッシュにはアドバンテージがある北本にとって、それはメダルを狙える種目だった。

 それからは200メートルに照準を定め、徹底してトレーニングを重ねた。10年8月にポーランド・ポズナンで開かれた世界選手権では同種目で銅メダル。11月のアジア大会では金メダルを獲得した。世界で上位に入れることを証明した。
「何度が表彰台に立つことで、五輪のメダルを意識する機会が多くなりました。これまでの集大成として、しっかり準備をして勝ちたいと思います」

 世界との差を知ったアテネ五輪。ベストレースで世界に挑むも、厚い壁に跳ね返された北京五輪……。2大会の経験を糧にして、ロンドンでは勝負をして勝つ。ホップ、ステップ、ジャンプでメダルへ――。北本は強い決意を胸に、本番までの日々を過ごしていく。

(後編につづく) 

北本忍(きたもと・しのぶ)プロフィール>
1977年2月1日、兵庫県生まれ。富山県体育協会所属。川西北陵高ではバレーボール部に所属。武庫川女子大進学後にカヌーを始める。04年のアテネ五輪カヤック500メートルフォアで日本勢初の決勝進出に貢献(9位)。北京五輪では同500メートルペア(5位)とフォア(6位)でいずれも入賞。09年のW杯第1戦(チェコ)では同シングル500メートルで日本人初の優勝。翌10年の世界選手権(ポーランド)では同種目で初の銅メダルに輝く。この年の広州アジア大会ではカヤックシングル200メートルで金メダル。11年の世界選手権で同種目で4位に入り、ロンドン五輪の出場権を獲得した。身長163センチ。

(石田洋之)
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