女子レスリング72キロ級で3大会連続の五輪出場を決めた浜口京子選手が、ロンドン五輪を最後に現役引退を示唆しました。2004年のアテネ五輪から正式採用された女子レスリングは現在、日本のお家芸とも言える競技です。ここまで日本勢は、全階級においてメダルを獲得しています。元プロレスラーの父・アニマル浜口をコーチに持つ浜口選手は世界選手権5度優勝の実績を誇り、過去2大会でも金メダルが期待されていました。しかし、結果はいずれも銅メダル。ロンドン五輪では悲願の金メダルで、有終の美を目指します。今回は、そんな浜口親子の二人三脚の物語を、12年前の原稿より紹介します。
<この原稿は2000年7月号の『家庭画報』に掲載されたものです>

「初優勝も苦しかったけど、強敵揃いだった今回の方がもっと苦しかった。これで本当の世界チャンピオンになった」
 胸に輝く金メダルを見つめながら、浜口京子はしみじみと言った。そのかたわらで父親でありコーチでもある平吾は会心の笑みを浮かべていた。父と娘、ふたりの力で勝ちとった金メダルだった。
 昨年9月12日、スウェーデンのボーデンでレスリング世界女子選手権が行なわれた。3連覇を目指す京子(75キロ級)は決勝でクリスティー・マラノ(米国)と戦い、力強いタックルと寝技を中心とした攻撃で5分18秒、フォール勝ちをおさめた。
 京子にとって最大の難関は準決勝の相手ノードハゲン(カナダ)だった。ノードハゲンは68キロ級などで過去4度、世界の頂点に立っている女子レスリング界きっての実力者。今回、階級をひとつ上げたのは、「キョウコを倒すため」に他ならなかった。
 開始早々、京子は追い詰められた。寝技を切りかえされ、もう少しで右肩がマットにつきそうになった。レスリングというスポーツは両肩がマットについた時点でフォール負けとなる。
「僕は念仏を唱えたね」
 真顔で父・平吾は言った。
「私もブリッジしながら、もうこれで終わりだと思いました……」
 横から京子が話を引きとった。
「それでも勝てたのは、“絶対に諦めないぞ!”という強い気持ちがあったからだと思います。(王座を)守るのではなく、向かっていこうという気持ち。チャレンジ精神だけは最後まで失いたくなかった。だからでしょうね。今回の優勝が今までの中で一番うれしいものでした」

 京子は1978年1月11日、東京・浅草でプロレスラーである父・アニマル浜口(平吾)の長女として生まれた。
 京子は13歳でボディビルを始めた。それまではオリンピック選手を夢見て水泳に打ち込んでいた。ある日、挫折し、目標をプロレスラーに切りかえた。
 平吾は、そんな娘にボディビルをすすめた。そこには父親なりの深い思いが込められていた。
 振り返って平吾は言う。
「水泳に挫折して、自信を失っていた。そんな時、自信を取り戻させるには汗をかかせるしかないんです。一心不乱にトレーニングに励めば、挫折なんて吹き飛んでしまうだろうと……。
 そこでオレは娘に史上最年少での大会出場を計画しました。目標に向かって耐える力、その果ての達成感。これを味わわせてやりたかったんです。幸い、最年少出場ということで特別賞のトロフィーをもらった。これがその後の自信につながったんです」
 それを受けて京子は言う。
「あの体験が、私には本当に大きかった。ステージに上がり、ライトを浴び、拍手までもらう。これって人生初めての出来事でした。あぁ、私にもできるんだと。努力すればこんなにいいこともあるんだと……。その時、私の生きる道はもうこれしかないと決断したんです」

 ボディビルの後はレスリング。15歳で全日本選手権に出場したが1回戦で敗れた。平吾に「おとうさんはこないで」と言ったこともある。多感な時期の感情が一時的に父親を遠ざけた。
 しかし、父と娘は強い絆で結ばれていた。平吾がセコンドにつくようになってから、結果が出始めた。肉体も顔つきもレスラーのそれに成長した。
 平吾は言う。
「この娘を強くする上で、一番役立ったのはプロレスラー時代の経験です。たとえばフランスでの世界選手権の前、勝つには体の切れと瞬発力が必要だと思った。
 では体の切れと瞬発力を養うにはどうするか。経験上“息上げ”しかないんです。息上げとは、ダッシュやスクワットをし、2、3、4……と大声を発しながら繰り返し、無我の境地を切り開くというもの。要するに心肺機能の強化なんです。
 プロレスで覚えたこのトレーニングをオレは陸上競技場で京子にやらせました。400メートルを2本、1000メートルを2本走り込んだあとに100メートルダッシュを10本。このハードトレーニングがフランスでは生きたんです」
 今回も大会前、陸上競技場でハードなトレーニングを積んだ。1000メートルを2本、800メートルを2本、900メートルを2、3本、100メートルを10本、その間にダッシュをいれた。平吾は“鬼コーチ”として京子をしごきまくった。
「この練習があったからこそ、低くて速いタックルがスパッと入るようになったんです。最後に勝負を決するのはスピードとスタミナ、そして執念ですよ」

 アニマル浜口――一世を風靡したプロレスラーである。ボディビルの“準ミスター兵庫”からプロレスラーに転じ、国際プロレス、新日本プロレスなどで活躍した。
 身長175センチとプロレスラーとしては小柄だったが、気っ風のいいファイトと度胸で人気を博した。マットを鮮血で染めるようなラフファイトも日常茶飯事だった。
 40歳で引退後、地元の浅草でトレーニングジムの経営に乗り出した。この時、京子はまだ10歳。
「父の現役時代のことはうっすらとしか覚えていないんです……」
 少々、不機嫌な父親の顔をのぞき込むようにして京子は言った。もちろん顔に残る無数の傷の謂れを娘は知らない。

 3連覇達成の瞬間、平吾は娘を肩車した。父の肩の上で京子は力いっぱい日の丸の旗を振った。実はこの肩車こそは信頼の絆を物語るふたりだけの儀式だった。
「この肩車はね、オレの子供の頃からの夢だったんですよ……」
 しんみりした口調で平吾は切り出した。
「私は島根県の浜田という漁師町に男4人、女5人の9人きょうだいの下から2番目の子として生まれたのですが、オヤジが飲んべぇでね、ついに商売に失敗して、夜逃げ同然でオフクロたちと大阪へ逃げ出したんです。
 そりゃ苦労しましたよ。貧しくて弁当も持っていけなくて、家に帰って水ばかり飲んでいましたよ。そうでもしないことには空腹をいやせないものですから。
 子供の頃、いつも思っていましたよ。オレもオヤジに肩車してもらいたいなァ……って。特に友達がそのオヤジさんに肩車されているのを見たりするとね、もうたまらんかったですよ。羨ましいというか、憧れてしまうというか……。だからコイツに肩車してしまったんです。あぁ、おれがオヤジにしてもらいたかったことを今、娘にしてやってるんだ……と思うと、柄にもなく胸がジーンとしてね。娘よりもオレの方が感動していたんじゃないでしょうか」

 スポーツの世界に“親子鷹”は少なくないが、父と娘というのは珍しい。ましてやケガのたえない格闘技、父親に葛藤はないのだろうか……。
「この娘を指導すると決めた時から、オレは鬼にならなくちゃいかんと。心に誓ったんです」
 語気を強めて平吾は言った。
「実はついこの前も、タックルの際、鼻をぶつけて脳震盪を起こしたんです。これなんか、気の緩んでいる証拠ですよ。
 ただ娘に厳しく接している以上、オレだけ楽をするわけにはいかない。だから朝起きたらメシもくわないで2時間サンドバッグを蹴り続けたりするんです。
 格闘技をやる以上は目の玉をひんむいてやらなければいけません。そのくらい必死になってやらないと、自分にも娘にも甘くなってしまうんですよ。誰だって厳しい練習なんかしたくない。逃げられるものなら、逃げ出してしまいたい。そう思うでしょう。
 だからこそ、自分に立ち向かわなければならない。オレだってこの道場に自分を縛りつけています。怖い、逃げたい、逃げられない、よし頑張ろう……。日々、そんな葛藤の繰り返しですよ」
 熱っぽく語る父親の姿、京子は黙って見つめていた。その様子は父と娘というより、師と弟子の関係以外の何物でもなかった。
 格闘技漬けの日々。
 母・初枝は夫と娘の関係をどう見ているのだろうか。
「もう年中、“やめたい”と言ってますよ。私もそうしてくれれば安心するのに……と何度、思ったことか。特に試合が近づいた時の娘の緊張感、恐怖感というのは、そばで見ていても辛いですね。
 ただね、今まで何をやっても長続きしなかった子がレスリングだけはやめないでずっと頑張ってきたんです。そこには何か魅力があるんじゃないでしょうか。だから、何だかんだ言いながら、レスリングから離れられないんだと思いますよ」
 そして、ポツリとこう続けた。
「もし“格闘技をやめたい”と言ってきたら、少し残念な気持ちはありますが、最終的には本人の思う道を歩ませてあげたいですね……」

 彼女のことは小学生の頃から知っている。
 今から14、5年前、私はプロレスのコラムを専門誌で持っていて、取材もかねてしばしば母・初枝の経営する小料理屋に顔を出した。店の2階部分が住まいになっており、小さかった京子と顔を合わせたことが何度かあった。母親にそっくりだなァ……という印象だけが残っている。
 少女はおとなになり、格闘家になった。それも世界一の格闘家に。女子レスリングはシドニーの次のアテネ五輪から正式種目になる見通しだが、京子には金メダルの期待がかかる。
 平吾は言う。
「オリンピック、あるいは世界選手権で4連覇、5連覇を達成したら歴史に名を残せるでしょう。それくらいの素晴らしい挑戦を今、京子はやっているんです。
 だからコイツにはよく言うんです。きれいなカッコをして彼氏と一緒に街を歩きたい。それもいいだろう。厚底の靴をはき、顔を真っ黒にして遊びたい。それもいいだろう。人間、いろいろな人生がありますよ。
 だけど、オマエにしかできないことは、そんなことじゃないだろうと。2度とない人生で何を残せるかといえば、それはレスリングしかないんですよ。天がオレとコイツに与えた使命なんです。そこから逃げ出すことは許されない。もう、覚悟を決めるしかないんです」

 黙って父の話に聞き入っている京子に失礼を承知で聞いた。
「練習が嫌になることは?」
「ええ、今でも時々ありますよ。練習に行きたくないとか、きついことしたくないとか」
「じゃあ、おとうさんとケンカしたことは?」
「それは、もうしょっちゅうです」
 そう言って茶目っ気たっぷりに笑った。
「では恋愛は?」
 投げたボールをキャッチし、こちらに投げ返してきたのは娘ではなく父親の方だった。
「そんなものは後でゆっくりやればいいんです。大体、今、恋愛心なんて芽生えたら心にスキが生まれてレスリングどころじゃなくなってしまう。両方一緒になんて、できるわけがない。そんな、ちっぽけな恋をとるか、誰もできない将来に挑戦するかといったら、答えるまでもないでしょう。コイツには2度とない人生、大望を持って歩んで欲しいんです」
「でもね」
 京子は反駁した。
「ある人にこう言われたよ。“京子ちゃんにいい人がいたら、もっと強くなれるかもしれないよ”って……。おとうさんにはおかあさんがいるからいいじゃない」
 しばし、沈黙が流れた。
 再び口を開いたのは父・平吾だった。
「この娘はオレのいい面も悪い面も、強い面も弱い面も全部知っている。互いが互いを支えながら生きているんですよ」
 父娘の愛情とは何か、信頼とは何か、絆とは何か……。レスリングを通して京子と平吾はどんな理想を実現しようとしているのか。ひとりの取材者として、この父娘の「物語」がハッピーエンドでエピローグを迎えることを願ってやまない。
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