2008年9月8日、北京国家体育場。北京パラリンピック第3日、トラックでは陸上車いす女子5000メートル決勝が行なわれていた。激しい先頭争いが繰り広げられる中、アクシデントが起こった。残り500メートル、最後の一周にさしかかる直線で前方を行く2人の選手が接触し、激しく転倒。そのすぐ後ろでスパートのチャンスをうかがっていた土田和歌子に避ける余裕はなかった。気づいた時には体を強く打ちつけられていた。4日後、再レースが行なわれたが、そこに土田の姿はなかった。そしてメインレースとして臨むはずだった最終日のマラソンも土田は棄権を余儀なくされた――。あれから4年。彼女は、北京でかなわなかった5000メートルのゴールとマラソンのスタートラインに今、立とうとしている。
(写真:ロンドンでは悲願のマラソン金メダルを狙う土田選手)

 土田にとってロンドンパラリンピックは6年越しの挑戦となる。04年アテネパラリンピックで5000メートル金メダル、マラソン銀メダルを獲得した土田は、翌年、高橋慶樹コーチと結婚。06年1〜10月は出産のために競技を離れたが、北京パラリンピックを目指し、出産からわずか3カ月でトレーニングを再開。07年4月にはボストンマラソンで優勝し、完全復帰した。子育てをしながらの競技生活は、決して生易しいものではなかったはずだ。苦労は絶えなかったに違いない。それでも高橋コーチをはじめ、周囲の温かい協力と、土田自身のたゆまない努力によって、ようやくたどり着いたのが北京パラリンピックだった。それだけに、不慮の事故で棄権を余儀なくされた土田の悔しさは計り知れない。

 4年という月日が経過した今、あの時のことを彼女はどう感じているのだろうか。
「もちろん悔しさは残っています。アテネ以降、結婚、出産と環境が大きく変わる中、2年間、必死にもがいてもがいて、北京を迎えましたからね。支えてくれた人たちのためにも、と思っていましたから、結果を残せなかったことは残念でなりませんでした。でも、あのレースに関して『誰が悪かった』『何が悪かった』というようなことは一切思っていません。何が起きるかわからないのがレースですから、結局は選手がそのレースの責任を持たなければいけないと思うんです。ですから、次はああいうことにならないように、位置取りであったり、走りのレベルを上げていかなければいけない。そういうことを気づかせてくれた大会でした」
 北京でのアクシデントを、土田はしっかりと糧にして、今に至っている。

 共に歩んできた子どもの存在

 そしてもう一つ、土田の成長を促したものといえば、やはり長男の慶将くんだろう。彼の存在は、何にも代えがたいものであることは想像に難くない。そして慶将くんの協力なくしては、競技生活を続けることはできなかった。国内であれば帯同することもあるが、海外遠征ともなれば、慶将くんは父親の高橋慶樹コーチと留守番をするという。果たして、母親が不在時の慶将くんの様子はどうなのか。高橋コーチに聞いてみた。
「寂しがって泣いたりとか、あまり僕を困らせるようなことはないですね。赤ちゃんの頃から母親は競技をやっていましたから、自然と『お母さんはレースに行くから、自分はお父さんと留守番』と理解してくれているんでしょうね。でも、お母さんには1番になってもらいたい気持ちが強いらしくて、今年のボストンやロンドンでも2位だったことを伝えたら、『1位にならなくちゃダメだよ!』って(笑)。『でも、すごく頑張ったんだよ』って言うと、『そっかぁ、じゃあ、しょうがないね』って言っていましたけどね(笑)」

 そんな慶将くんだが、母親には悔しさを見せない。土田がボストン、ロンドンを終えて帰宅すると、「お母さん、今回は2番だったね」と言ってきたという。土田が「そうだったんだよねぇ」と言うと、「でも、いいよ。また一生懸命に練習すれば」と励ましの言葉をかけたのだ。
「そういう気遣いを言えるようになったんだなぁ、としみじみ思いましたよ。改めて5歳はすごいなと(笑)」
 母親にとって子どもの成長は何よりのエネルギーとなるに違いない。

 ロンドンには慶将くんも応援に行く予定だ。きっと、誰よりも大きな声でエールを送ることだろう。
「子どもに見せたいから競技をやっているというわけではないのですが、自分が走っている姿を見て、子どもが何かを感じ取ってくれればいいなとは思いますね。普段はなかなか一緒にいてあげられないですし、母親として100%やれているかというと、競技生活はそんな生半可なものではないので、それはやっぱり難しいんです。そういう子育てに対してジレンマはあるのですが、それでも今しかできないこと、今しか息子に見せられないこともあると思っています」

 出産後は、子育てと競技との両立に奮闘してきた土田。ひたすら走り続けてきた6年間の思いの丈をぶつける日は、もうすぐそこまで来ている。

(斎藤寿子)

※「The Road to LONDON」はNPO法人STANDとの共同企画です。土田和歌子選手のロンドンパラリンピックに向けた意気込みを描いたアスリートストーリー「初のマラソン金メダルへ」とフォトギャラリーはこちらから!

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