Vol.13 進化した「心技体」 〜車いすテニス・国枝慎吾〜

「コーチ、ヒジが痛い……」――これまでほとんど聞いたことのない悲痛な声に、丸山弘道は驚きを隠せなかった。  2011年9月、全米オープン男子シングルス決勝戦。国枝慎吾はマッチポイントを迎えていた。4連覇まであと1ポイント。ちょうどその時、スタンドの最前列で観戦していた丸山の目の前にボールが転がってきた。そのボールを拾いに来た国枝が、そっと丸山に伝えたのだ。 「試合中、しかもマッチポイントを握ったこのタイミングで『痛い』だなんて……。慎吾の右ヒジは大変なことになっているのかもしれない」 丸山は“不安”と“覚悟”が入り混じった気持ちで国枝を見つめていた。

Vol.12 ロンドンに導いた恩師の叱咤激励 〜視覚障害者柔道・米田真由美〜

 2010年12月、中国・広州で行なわれたアジアパラ競技大会、米田真由美は銀メダルに輝いた。アテネ、北京とパラリンピックに出場できなかった米田は、北京後は寝技の強化を図ってきた。その寝技に自信をつけたのが、そのアジアパラだった。表彰式では、銀メダルを首に下げ、清々しい笑顔の米田の姿があった。だが、実はこの1カ月前、米田は柔道人生の崖っぷちに立たされていたのである。

Vol.11 6年越しのスタートライン 〜車いすランナー・土田和歌子〜

 2008年9月8日、北京国家体育場。北京パラリンピック第3日、トラックでは陸上車いす女子5000メートル決勝が行なわれていた。激しい先頭争いが繰り広げられる中、アクシデントが起こった。残り500メートル、最後の一周にさしかかる直線で前方を行く2人の選手が接触し、激しく転倒。そのすぐ後ろでスパートのチャンスをうかがっていた土田和歌子に避ける余裕はなかった。気づいた時には体を強く打ちつけられていた。4日後、再レースが行なわれたが、そこに土田の姿はなかった。そしてメインレースとして臨むはずだった最終日のマラソンも土田は棄権を余儀なくされた――。あれから4年。彼女は、北京でかなわなかった5000メートルのゴールとマラソンのスタートラインに今、立とうとしている。

Vol.10 死闘を制した2つの“ビッグプレー” 〜車椅子バスケ〜

 昨年11月、韓国で行なわれたロンドンパラリンピック・アジアオセアニア最終予選、日本は準決勝で韓国にわずか1点差で競り勝ち、パラリンピックの切符をつかんだ。その死闘を制した背景には、2つの“ビッグプレー”があったのだ。

Vol.9 “静”なるスポーツ、射撃の魅力に迫る!

 野球やサッカー、バスケットボールといった“動”のスポーツとは異なり、“静”のスポーツである射撃において、最大の敵はさまざまな“ズレ”である。ほんのわずかなズレが、勝敗を分ける重要なカギを握っているのだ。そして、その“ズレ”との戦いこそが、射撃の最大の魅力でもある。他のスポーツとはまるで違う競技性をもつ射撃とは――。刈谷洋一ヘッドコーチに聞いた。

Vol.8 “ラグ車”に魅せられて−―縁の下の支え 〜ウィルチェアーラグビー〜

 格闘技さながらの激しさとスピーディなプレー。それこそがウィルチェアーラグビーの最大の魅力だ。一度、それを体感すると、この競技の虜となる者は少なくない。特に車椅子同士が衝突した時の重厚な音は、観る者の興奮を助長させる。思わず目をつぶってしまうほどの凄まじさこそが、コンタクトプレーが許されているこの競技ならではの見どころだ。そのプレーにとどまらず、ウィルチェアーラグビーの車椅子、通称“ラグ車”にはまった男がいる。2007年から日本代表チームのメカニックを担当している三山慧、26歳だ。ウィルチェアーラグビーとの出合いが、彼の人生の転機となった。

Vol.7 第2の人生に課せられた使命 〜自転車競技・多以良泉己〜

「ピーーーーッ」  オーブンのタイマーが鳴り響いた。工房にこんがりと焼けたパン独特の甘い匂いが広がる。オーブンを開けると、ふっくらと焼き上がったパンが登場した。「天使のパン」と呼ばれるそのパンを、多以良泉己はそっと両手で持ち上げた。まるで生まれたての赤ん坊のように、大事に大事にテーブルの上に置く。焼きたてのパンを見つめるその目は、まさに天使のような優しさに満ち溢れていた。 「喜んでくれるといいな……」  届けられた先の人たちの笑顔が頭に浮かぶ――。それがそのパンが成功した証である。

Vol.6 ハイジャンパー鈴木徹をつくり上げた出会い

「日本人初の義足パラリンピアン」。それがハイジャンパー鈴木徹だ。1996年のアトランタ大会まで、パラリンピックに出場することができた日本人選手は、車椅子もしくは視覚障害クラスの選手に限られていた。義足で走ったり跳んだりすることは、考えられていなかったのである。その“常識”を覆したのが鈴木だった。高校時代には国体3位になるなど、ハンドボール界で将来を嘱望されていた鈴木が、交通事故で右足を切断したのは、高校の卒業式の1週間前だった。その1年半後、鈴木は走り高跳びでシドニーパラリンピックに出場。その後、アテネ、北京と3大会連続出場を果たした。2006年にはアジア人初の2メートルジャンパーとなった鈴木は、08年北京パラリンピックでは日本選手団の旗手という大役を務めた。今や義足アスリートのパイオニアとして知られる鈴木。彼を世界の舞台へと押し上げたのは、ある2人の人物との出会いがあった。

Vol.5 クアードプレーヤーはこうして戦っている!

 車いすテニスと言えば、北京パラリンピック、シングルスで金メダルに輝いた国枝慎吾を真っ先に思い浮かべる人は少なくないだろう。国枝は男子のオープンクラスで世界の頂点に君臨している。女子では、史上最年少の中学1年で日本マスターズに出場し、国内首位を独走している上地結衣が現在9位にランキングしている。そして、この男女のほか、車いすテニスにはもうひとつ、クラスがある。3肢以上に麻痺がある重度障害のクアードだ。このクアードには、ゲームの中のプレーだけではないさまざまな勝負のポイントがある。クアードの中でも体の状態としては厳しい古賀貴裕。彼だからこそ知り得る、クアードプレーヤーの戦いの裏側に迫る。

Vol.4 ロンドンへの切符をかけたもうひとつの戦い 〜車いすマラソン〜

 マルセル・フグ(スイス)が史上4人目となる連覇を果たし、樋口政幸が自身最高の総合2位、国内1位に輝いた「第31回大分国際車いすマラソン」。スタートから繰り広げられた2人の優勝争いは最後のトラック競技にまでもつれこみ、残り20メートルでフグが樋口を交わすというドラマティックな展開となった。しかし、今大会のハイライトはこれだけではなかった。彼らの後ろでは、ロンドンパラリンピックの出場権をかけた、もうひとつの戦いが行なわれていたのだ。副島正純、洞ノ上浩太、花岡伸和。いずれも有力候補の一角に入っていた選手たちだ。果たして残された2枚の切符は誰の手に……。そこにはいくつものドラマがあった。

Vol.3 支えあっての競泳人生 〜競泳・秋山里奈〜

 観ている者を魅了するアスリートのパフォーマンス。そこには言わずと知れた彼ら彼女らの日々の努力がある。だが、決してそれだけではない。コーチ、トレーナー、家族、友人……。多くの支えがあってこそ、アスリートたちは自らの限界に挑むことができる。秋山里奈にとって、そのひとつが「チャンピオンスイムクラブいせはら校」だ。

Vol.2 人生を変えた北京での衝撃 〜スプリンター・春田純〜

 4年に一度の祭典パラリンピックへの思いは日に日に強まるばかりだ。  スプリンター春田純が本気で人生をかけてその舞台を目指し始めたのは、ちょうど3年前のことだ。きっかけは義肢装具士・沖野敦郎から誘われ、北京パラリンピックを観戦に行ったことだった。陸上競技が行なわれた通称「鳥の巣」(北京国家体育場)に一歩足を踏み入れた瞬間、春田の全身に鳥肌が立った。

Vol.1 新発見! 「クルマイスバスケ」の特等席

 キュッ、キュッ、キュキュッ……。体育館いっぱいに鳴り響く、バスケットシューズさながらのこの音は、車椅子のタイヤの音だ。選手たちが車椅子をストップさせたり、ターンをさせたりする度に高いキーの音がこだまする。 ガッシャーン! ガツン! ガツン!……。そこに混じって聞こえてくるのは、車椅子と車椅子がぶつかり合う音。その激しさと言ったら、通常のバスケットボールの比ではない。

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