アトランタ、シドニー、アテネで五輪柔道3連覇(男子60キロ級)を達成した野村忠宏は試合前の“儀式”をことのほか、大切にしていた。
 ひとつは家族からの手紙に目を通すこと。「読むのは試合の3日前と前日の夜。そして選手村を出て試合会場に行く時」。文面から溢れるほどの励ましの言葉に接することで「弱気や不安を吹き飛ばした」と野村は語っていた。

 ふたつ目はトイレの鏡でのにらめっこ。戦う目をしているか、強い目をしているか、生きた目をしているか。それを確認して試合に臨んだという。戦(いくさ)を前にした侍の姿が重なる。

 その野村に、あるテレビ番組で「ロンドンでは精神的な儀式、心の準備が足りなかった選手もいたのではないか?」と問うと、こんな答えが返ってきた。「それはすごく感じました。本来持っている実力を全て出し切るには心の強さ、心の準備(が必要)。その部分が足りなかったことに関しては反省の必要があるでしょう」。五輪15戦無敗のレジェンドの言葉はズシンと胸に響いた。

 考えてみれば、銀メダルでも「負けた」と言われる五輪競技は、この国では柔道だけである。「2位じゃダメなんですか?」と口走った政治家がいたが、柔道だけは「1番じゃなきゃダメ」なのだ。それがルーツ国の矜持である。

 しかし現状は厳しい。1964年の東京五輪でメダルを獲得したのは日本、オランダ、カナダら9カ国だった。それが前回の北京(男子のみ)では19カ国にまで広がった。皮肉なことだが、金メダル0に終わった今回の結果は柔道が国際的に普及し、まさにワールドワイドなスポーツに成長したことの証でもある。そんな中でも7階級で4つのメダルを獲ったのだから、まだまだ男子柔道も捨てたものではないとの逆説も成り立つ。

 別の競技団体関係者が「世界で2番、3番なのだからメダルを獲った(柔道の)選手はもっと胸を張るべき」と語っていた。私も同意見だが、一方で柔道に限っては「銀や銅で喜んでもらいたくはない」との思いも残る。「柔道が金メダルを目指さなくなったらおしまいだろう」とも。この二律背反が日本柔道、とりわけ男子の今の立場を示しているようにも感じられて、実に悩ましい。外洋の荒波に船を漕ぎ出したがゆえの試練。柔の魂が試されている。

<この原稿は12年8月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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