“世紀の一戦”のゴングが刻一刻と近づいている。13日、ボクシングの本場・米国で世界スーパーバンタム級王座統一戦が行なわれる。この試合、拳を交えるのは、3月に日本人初のWBC同級名誉王者となった西岡利晃と、WBO、IBF同級王者のノニト・ドネアだ。西岡は5度目の世界挑戦で、悲願の戴冠を果たした不屈の男である。対するドネアは4階級制覇を成し遂げたフィリピンが生んだスーパースター。軽量級の頂上決戦に世界中の注目が集まる。
 強敵と立ち向かう西岡の折れない心の一端に、2年前の原稿で触れてみたい。
<この原稿は2010年9月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 5ラウンド、“ダバオのヒットマン”の異名をとるチャレンジャーの左フックに合わせて左ストレートを突き刺すと、タフで鳴るフィリピン人は腰からキャンバスに崩れ落ちた。
 事実上、この一撃で勝負は決した。
 4月30日、東京・日本武道館。WBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃はTKOでバルウェグ・バンゴヤンを退け、4連続KO防衛に成功した。
「手応え? まるでない。倒す時は手応えがなく、抜けるような感じになるんです。逆に手に衝撃がある方が倒れない。まぁ、よく立ってきたなと思いましたね」
 冷静な面持ちで4度目の防衛戦を振り返った。目下、向かうところ敵なしだ。

 しかし、ここまでの道のりは長く険しかった。
 初めて世界王座に挑戦したのが2000年6月25日、初戴冠に成功したのが2008年9月15日。
 8年3カ月という時間は、他の競技と比較して選手寿命の短いボクサーにとっては、あまりにも長い。
 しかも最後の挑戦から王座奪取まで世界戦は4年半も待たされているのだ。普通のボクサーなら、4回も世界王座に挑戦できただけで幸せだったと考えるだろう。あるいは自分は世界チャンピオンにはなれない星の下で生まれてきたのだと諦め、第2の人生でチャンピオンになればいいと気持ちを切り換えるか……。

 しかし西岡は一度たりともくじけなかった。それどころか「オレが(世界王座を)獲れないのはおかしい」と、これまで以上に頂点への執念を燃やし始めた。それにしても、いったい自分には何が足りないのか……。
「(世界王座を)獲れないのは、自分に何か原因があるからでしょう。じゃあ、何を改善すべきなのか。逆に言えば、そこさえ改善すれば世界チャンピオンになれるということです。で、やっとそれがわかった。結論から言えば気持ちですね。
 最初の頃は“打たさずに打つ”という気持ちで戦っていた。でも、それでは勝てない。もちろん、気持ちだけあれば勝てるほどボクシングは甘くない。強い気持ちに確かな技術が合わさった時、僕の夢はかなうだろうと……」

 ――“打たさずに打つ”ではなく、チャレンジャーである以上、打たれてもいいから前に出ようと……。
「いや“打たれてもいい”とは思っていない。“打たさない”というのはボクシングの基本なんです。ただ打たれることはある。それを想定した上で戦いを進めなくてはいけない」
 ――もっと具体的に言うと?
「仮に打たれたとしても、いい打たれ方と悪い打たれ方がある。以前は打たれ方が悪かった。今はいい踏み込み方をしているので(パンチを)もらっても効かないし、倒れない。そのことを(ジムの)本田明彦会長に救われました」
 ――では“悪い打たれ方”というのは?
「会長から口を酸っぱくして言われたのは“首が硬い”ということです。首が硬いと打たれた時にガンと脳に響く。しかし日頃から首を柔らかくしていると(パンチをもらっても)衝撃が和らぐ。打たれても大丈夫だと思うと接近戦に対する不安もない。5回目の世界挑戦の前くらいからでしょうか。そのことがわかりかけてきたのは……」

 タイトル奪取に失敗した4回の世界戦の相手は全てタイのウィラポン・ナコンルアンプロモーション。辰吉丈一郎が2度とも返り討ちにあった名うてのテクニシャンだ。
 このウィラポンに対し、西岡は2敗2分け。「強いとは感じなかったが、巧かった」。手が届きそうで届かない。憧れの場所。何かを変える必要があった。
 4回目の挑戦が失敗に終わった後、西岡は7年間付き合っていた女性と結婚した。翌年には愛娘も産まれた。
「籍は入れたんですけど、結婚式は挙げなかった。式は世界チャンピオンになってから挙げようって。今思えば、ひとりで先の見えない4年半もの時間を耐えるのは難しかったかもしれない。家族がいたから耐えることができた。ジッと僕を信じて黙って見守ってくれていましたから……」

 待った甲斐があった。08年9月15日、西岡はタイのナパーポン・ギャットティサックチョーチャイとWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦を行う。
 試合前から、西岡は心に決めていたことがある。
「ここまで家族3人で頑張ってきた。終わった後に“こうしたらよかった”とか“行けばよかった”とか、そういう後悔だけはしたくない。1ラウンドから行こう。出しきろう」
 強い決意がリングを支配した。1ラウンドから西岡はラッシュし、休まずに最後まで攻め抜いた。一皮も二皮もむけた西岡がそこにいた。
「朝起きる。“オレはチャンピオンなんや!”と実感する。それがすごくうれしかったですね」

 チャンピオンになってからの安定ぶりには目を見張るものがある。4連続KO防衛。30歳を過ぎてから、さらに強くなっている印象がある。
「僕はボクシングが大好きでヒマさえあれば試合のビデオを観ている。四六時中、ボクシングのことを考えている。この年になればわかるのですが、ただ一生懸命練習すればうまくなれるのか、ガンガン自らを追い込めば強くなれるのか。そうじゃない。ずっと考えているから、フッとイメージが浮かんでくるんです。“気づき”とでもいうのかな、それを僕は大切にしたい」
 年に2試合として、引退までにあと何度、戦いのゴングを聞けるか。それを西岡は考えるという。
「世界のリングに上がれるのは、現実的に考えて残り数試合。それを考えると、ものすごく寂しいんです。1日1日をいかに充実させ、“オレはやり切った”と思えるか。そうじゃなければ自分自身に納得できないでしょう」
〈この道より 生きる道なし〉
 ある画家からもらった色紙の言葉がいたく気に入っている。
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