天才セッターが、今度はコートサイドに場所を移し、指揮をふるう。昨日開幕したバレーボールのV・プレミアリーグで注目を集めているのは、久光製薬スプリングスの中田久美監督だ。専任としてはリーグ初の女性指揮官である。新監督に課された任務は、6年ぶりのリーグ優勝、そして次世代の全日本を担うセッターの育成だろう。中田が目をつけたのが、今季加入した狩野舞子だ。ロンドン五輪にも出場したアタッカーにセッター転向を命じたのである。現役時代は鋭い観察力でコート上から様々な情報を得て、ゲームを組み立てた。その視線が今度は若い選手たちに注がれる。
 そこで中田の“眼力”とスポーツにおける“視力”の重要性を、12年前の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2000年発行『1ミリの大河』(マガジンハウス)に掲載された原稿を再構成したものです>

 中田久美さんといえば、女子バレーボール史上に残る名セッターである。
 その中田久美さんと、何度か対談する機会があった。
 せっかくのチャンスだからと思い、私の希望でゲームのビデオテープを対談場所に持ち込んだ。先のワールドカップをはじめ、ソウル五輪で優勝したソ連に勝った時のもの(予選リーグ)なども用意した。

 点が入るたびに、ハイタッチを交わし、コートを駆け巡る。この光景は今も昔も同じだが、ひとつだけ全く違っている点があった。
 世界レベルの戦力を有していた頃のチームは、ハイタッチを交わしても、簡単に視線を相手コートからは切ろうとはしないのだ。
 セッターの中田さんにいたっては、喜びの輪に加わっている時でも、視線だけは相手コートに残している。顔は笑っていても、眼だけは笑っていないのだ。

 続けて先のワールドカップのビデオを見る。すると、どうだろう。喜び方は宝くじにでも当たったかと思うくらい大げさになったが、誰も相手コートに視線を送ろうとしないのだ。

「そんなところで喜んでいちゃダメよ」
 怒ったように中田さんは言った。

「相手コートにはいろいろな情報が落ちている。相手の顔色を見るだけでもいろいろなヒントがつかめるはず。他の選手はまだしでもセッターだけは絶対に眼を切っちゃダメ。これじゃフォーメーションだってわからなくなってしまうわ」

 セッターとは、野球でいえばキャッチャー、サッカーでいえばゲームメーカーである。相手のブロックのどこが薄いか、スペースにスキがあるかを瞬時に見抜き、攻撃を組み立てなければならない。一喜一憂しているヒマなどないのだ。

 中田さんの「眼」に興味を抱いた私は、以前取材で訪れたことのある(株)東京メガネ内にある「スポーツビジョン研究所」に案内し、実際にスポーツ・ビジョン測定を受けてもらった。
 検査項目は動体視力、深視力、瞬間視力、コントラスト感知など8項目からなり、中田さんは40点満点中32点を獲得、「A」の評価を受けた。
 測定に立ち会った阿南貴教スポーツビジョン研究室長は「現役を引退して8年がたっているにしては驚異的な数字」と言って目を丸くしていた。

 ここで簡単に「スポーツ・ビジョン」の歴史について説明しておこう。
 スポーツと視機能の関係を調査する研究機関がアメリカン・オプトメトリック・アソシエーションにスポーツ・ビジョン・セクションとして誕生し、研究を開始したのが今から22年前のこと。さらにその6年後にナショナル・アカデミー・オブ・スポーツ・ビジョンなるもうひとつの組織が結成された。

 アメリカン・オプトメトリック・アソシエーションは1980年から数年にわたり400人のプロ野球選手を対象としたスポーツ・ビジョン検査を行ない「大リーガーの運動視機能は(マイナーリーグの選手より)視力、深視力、目と手の協調性において優れている」「経歴の長い選手でも優秀な視機能を有する者は競技でもよい成績を維持することができる」などの報告を行なっている。

 一方、日本では88年の1月に「スポーツ・ビジョン研究会」が発足し、これまでバスケットボール、バレーボール、野球、サッカー、テニス、アメリカンフットボール、ラグビー、ボクシングなど、あらゆる競技を対象に調査、研究を行なっている。

『スポーツは眼だ!』とい小冊子がある。
 発行者は「スポーツビジョン研究会」(代表・真下一策氏)。
 小冊子は次のような書き出しで始まる。
<車の運転のメカニズムを見てみましょう。まず、ドライバーには外部の情報が眼と耳から入ります。次に脳はそれらを分析・判断して、アクセル、ハンドル、ブレーキなどを動かす指令を筋肉に送ります。手足の筋肉はその指令に基づいて的確に反応して動きます。
 まず、眼や耳からの知覚(入力)があって、運動(出力)があるわけです。この入力と出力の関係はスポーツも同じです。

 車の運転ではドライバーは両眼視力が0.7以上あることが求められます。ある程度以上の視力がないと安全運転ができないからです。また、フロントガラスが曇ったり、ワイパーを忙しく動かさなければならない激しい雨の中では、ドライバーはスピードを落とさざるを得ません。視界が悪いとスムーズな運動はできません。
 スポーツも同じです。ほとんどのスポーツは視力基準がありません。安全上、問題があるような視力でも平気でスポーツをする人もいます。悪くてもそれなりにできるからでしょう。

 しかし、正しい視力ならもっとうまくプレーができるはずです。言い換えればスポーツ音痴・運動ベタと言われる人は、外部からうまく情報が入って来ないため、出力である身体の反応運動が上手にできないのかもしれません。
 車の運転と同じように、スポーツでも「眼」は大事な役割を果たしています。スポーツで「視力」という意味をもう一度考えてみましょう。>

「スポーツ・ビジョン」測定の結果と、その選手のレベルは、ほぼ正比例している。
 阿南室長に、ある実業団バレーボールチームの測定結果を見せてもらったところ、全日本クラス、レギュラークラスのほとんどがA評価であり、C評価は伸び悩んでいるといわれる選手たちだった。
 たとえば「深視力」とは右眼と左眼の位置の違いから生まれる立体感や距離感のことを言うのだが、レシーブに難のある選手は例外なく、この項目で低い点数を示していた。

 近年、筋力トレーニングに熱心に取り組むチーム、選手が増えているがビジョン・トレーニングの重要性に気付いているのは、まだほんの少数である。欧米に比べると、この分野での日本の研究は、まだ遅れているという。
 視機能をどう磨き、どうゲームに役立てるか。近い将来、「スポーツ・ビジョンを制する者はゲームを制する」という時代が必ずやってくるはずである。
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