前人未到の完全制覇まであとひとつ――。数々のJRA記録を塗り替えてきた武豊がまた日本競馬界に金字塔を打ち立てようとしている。11月18日、武はサダムパテック(牡4歳)に騎乗し、マイルチャンピオンシップ初制覇を果たした。2年ぶり通算66勝目のG1勝利は、現行のJRAのG1全22レース中、21レース目の勝ち鞍をあげたことになる。残すタイトルは、朝日杯フューチュリティーステークスのみ。武は16日に開催される同レースにティーハーフ(牡2歳)に乗ることが予想される。
 幾多の勝利を重ねてきた武のレースマネジメント能力の一端を、12年前の原稿から紹介しよう。
<この原稿は2000年の発行の『1ミリの大河』(マガジンハウス)に掲載されたものです>

 1999年、日本ダービー。

「アドマイヤベガ、馬体重10キロ増」のアナウンスが東京競馬場に流れた瞬間、大きなどよめきが起きた。
 ナリタトップロードに次ぐ2番人気。3番人気のテイエムオペラオーを加え、レース前は3強と呼ばれた。

 約2カ月前の皐月賞を制したのは弱冠21歳の和田竜二が騎乗するテイエムオペラオー。武豊が騎乗するアドマイヤベガは6着と惨敗した。
 しかし「敗れてなお強し」の印象を残した。道中の不利に加え発熱も噂された。武豊の乗り方もダービーをにらんで、馬に負担をかけるものではなかった。

「勝負はダービー」
 そんな印象が肌寒い中山の空の下にわだかまった。
 馬体重が流れた瞬間の大きなどよめきは「体重が戻ったぞ。ベストコンディションだな」という認識と期待を意味していた。

 武豊は慎重にレースを進めた。4コーナーでも、まだ後方5番手の位置どり。ムチを入れたのは直線に入ってからだった。
 ナリタトップロードが先をいくテイエムオペラオーをかわすのを、武豊は辛抱強く待っていた。大外に馬を持ち出すと、これ以上ないタイミングで手綱をしごいた。
 テイエムオペラオーに騎乗する21歳の和田、ナリタトップロードを駆る24歳の渡辺薫彦ともに素晴らしいレースをしたが、ゴールを先頭で駆け抜けることはできなかった。

 なぜだろう。武豊にあって若い和田と渡辺に欠けていたもの、それは「視野」であり、もっと言えばレースのマネジメント能力である。
 武豊は2分25秒3というレースタイムのみならず、皐月賞からの長い時間を完璧にマネジメントしきっていた。これが「経験の差」というものである。

 レース後、ある高名な競馬評論家がしみじみと語るのを聞いた。
「もしユタカがナリタトップロードに乗っていたらナリタトップロードが勝っていただろう。もしテイエムオペラオーに乗っていたらテイエムオペラオーが勝っていただろう。今年のダービーは騎手の腕が明暗を分けた」

 アドマイヤベガ――牝馬2冠ベガの子で父親は大種牡馬サンデーサイレンス。良血に加 え、鞍上には実力ナンバーワンジョッキー。ダービーをして「運のある馬が勝つ」という時代が長く続いたが、今年に限ってはもっとも素晴らしい馬と優れたジョッキーが栄冠に輝いたのである。

 レースを振り返って、武豊はこう語った。
「4コーナーを回る時、後ろには3、4頭しかいなかった。確かに大胆に見えたかもしれません。でも、特別に意識してのものではありません。勝てる力は十分あるけど、どんと来いとまでは思えなかった。だから、とにかく後方でリズムを大事に、と考えた結果です。それに応えてくれたアドマイヤベガが凄いんです」

 思えば、昨年のダービーもこれとよく似た展開だった。横山典弘が騎乗するセイウンスカイ、昭和の天才ジョッキー福永洋一の息子・祐一が騎乗するキングヘイロー、そして武豊のスペシャルウイークが3強を形成していた。
 期待のキングヘイローはハナを切って飛び出し、向こう正面でハミがかかったように見えた時点で実質的にはレースから消えた。祐一は最高の舞台で高い授業料を払った。

 残るライバルはセイウンスカイ一頭。セイウンスカイが追い出すのを待って武豊が手綱をしごいた瞬間、レースは終わっていた。
 並ぶ間もなくスペシャルウイークに抜き去られたセイウンスカイの横山にすれば、おそらくプラットホームで新幹線を見送る駅員の心境だったに違いない。
 史上初のダービー連覇。しかし当代ナンバーワンジョッキーといわれる武豊ですら、ダービー・ジョッキーになるまでには12年の歳月を費やさなければならなかった。貴重なキャリアを得るために、一体どれだけの授業料を払ったことか。

 9年前を思い出す。
「ナッカッノ! ナッカッノ!」
 19万人を超える観客でふくれ上がった東京競馬場に騎手のシュプレヒコールがこだました。
 今では珍しくない騎手のシュプレヒコールだが、当時としては画期的な出来事だった。

 90年日本ダービー。勝ったのはベテラン中野栄治が駆るアイネスフウジン。デビュー20年目、8度目の挑戦でのダービー制覇だった。
 この年のダービーはヤングエリートの武豊と横山に視線が集まっていた。武豊はハクタイセイ、横山はメジロライアンという有力馬に騎乗した。アイネスフウジンは3番人気だった。
 ハクタイセイに騎乗した武豊は老獪な中野が仕組んだ罠にまんまとはまった。馬場の悪い3コーナー、中野があえて開けた内ラチに引き込まれるように馬を入れてしまったのだ。

「あれが若さなんだよ」

 中野は澄ました顔で言い、こう続けた。
「スタートして2コーナーがセンロク(1600メートル)でしょう。あそこで(流れが)遅かったらハナ行こうと思った。速かったらその位置でいいと。流れが速いのがこの馬の持ち味だから。
「3コーナーで武クンのハクタイセイが追いかけてきた。僕は馬場の悪い向こう正面を5頭分空けて通る。と、武クンがそこに飛び込んできた。これでハクタイセイはない……。
 やっぱり怖いのはメジロライアン。楽についてこられたら切れ味ではかなわない。府中の勝負は坂を上がっての250メートル。これでハナ立って差されるのは、もうしょうがない。最初は“粘ってくれ、粘ってくれ”と念じたね。勝った瞬間? そうね、馬にありがとうと言いたい気持ちだったね」

 9年前、中野に子供扱いされた頃の“青さ”は今の武豊にはどこにもない。ライバル馬と乗り役の実力、性格をきちんと把握して“横綱相撲”を披露する。その完成品が今年のダービーだったのではないか。

 元名調教師の境勝太郎氏は、翌日のスポーツニッポン紙に次のようなレース評を載せている。
<正直、腰を抜かしそうになりました。大胆、あっぱれ。武豊騎手には本当に感心しました。
 アドマイヤベガには水曜日付の馬体診断で120点をつけました。体調は万全でした。しかし、それでも簡単に勝てないのがダービーです。それもあんなに後ろから行くとは……。
 武豊騎手は意図的に抑えました。1コーナーは後ろから2、3頭目。道中もずっと我慢。いくら頭数が18頭と少なくなって追い込みが決まりやすいとはいっても、とんでもない騎乗ぶりです。
 随分古い話になりますが、私が騎手をやっていた頃は勝ったとしてもこんな乗り方をしたら師匠にぶん殴られた。
 2、3着。若い騎手たちも実にうまく、落ち着いて乗っています。力は出し切った。それでも勝てなかったのは、やはり武豊騎手の巧さと(アドマイヤ)ベガの強さにしてやられた、ということでしょう>

 武豊をして、人々は「天才ジョッキー」と呼ぶ。果たして、そうか。むしろ「秀才ジョッキー」と呼ぶべきではないか、と私はひそかに思っている。
 ここから先は私見だが「天才」は過去の教訓を肥やしにして、一歩一歩前進したりしない。痛い目にあわなくても最初からできるのだ。より具体的に言えば克服する対象がない。

 たとえば長嶋茂雄がそうだ。長嶋にバッティングの極意を訊くと、真面目な顔で「来た球を打つだけですよ」と言う。そこには誇張もウソもない。
 長嶋茂雄は現役時代、ピッチャーの配球を読んだことが一度もない。ホームベースの上を通過する硬球に、どうアジャストするかが彼のバッティングのすべてだった。だから、紙に残すような理論は何ひとつない。逆説的に言えば、自らの体感イコール理論なのである。

 こんな逸話がある。
 ある日、松井秀喜の部屋に長嶋から電話が入った。
「今、そこでバットを振ってみろ!」
 松井はおもむろにバットを取り出すと、長嶋に言われるままに素振りを始めた。
「ダメだ、そんなスイングじゃ!」
 もちろん、長嶋はその場にはいない。受話器の向こうの音に耳を澄ませることで松井の状態を確認していたのである。
 ビュンと松井のバットが風を斬った瞬間、受話器越しに長嶋は言った。
「そうだ。そのスイングだ」

 一方、秀才型はオセロゲームのように、自らの失地をひとつひとつ克服することで、最後はすべてを自らの色に染め上げる。過去の学習経験は年をとればとるほど生きてくる。その意味で今の武豊はまさに円熟期に入ったプレーヤーということができるだろう。
 では「天才」と「秀才」はどちらがすごいか、どちらが強いか。これは誰にもわからない。もしかすると、これは人類が抱える永遠の命題かもしれない。

 デビュー間もない頃のことだ。武豊は私にこんな話をした。
「キザな言い方をすれば、ときどき勝利の道っていうんですかね、どこを通ればいいのかわかるときがあるんです。たまにですけどね。
 スタートしてから、アッ何かいいな、いいなと思いつつレースしていて勝負をかけると“来た来た!”って感じになるときがある。ゴールまでの道が見えるんですよ。そうビクトリーロード。これが光って見える。
 そこにフッと飛び込むと、いつの間にかゴールを駆け抜けている。快感ですよ、これは。何か酔いしれるような感じ。この感覚がたまらないんです」

 武豊は自らの余白をひとつずつ塗り潰し、日本最高のジョッキーに成長した。武豊を知るということは、ある意味で競馬の奥義を究めることと同義なのかもしれない。
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