あれからもう10年の月日が流れた。アジア初のサッカーW杯、日韓大会である。日本サッカー界にとって歴史的1ページを刻んだ大会、そのフィナーレを飾った決勝の舞台に選ばれたのが日産スタジアム(横浜国際競技場)だ。収容人数7万2327人という規模のみならず、Jリーグ「ベストピッチ賞」4度受賞のグラウンドの美しさ、コンディションは国内随一といっても過言ではなく、FIFAや海外選手からも称賛の声が多く聞かれる。だが、ここまでに至るには大変な苦労を要した。そこにはグリーンキーパーの陰の努力、そして芝生を守るための闘いの日々があった。
「ブラジルの選手が『日産スタジアムの芝生は良かった』と言ってたって、新聞記事に書いてあったよ」
 W杯閉幕から数日経ったある日、山口義彦の元に友人から1通のメールが届いた。山口は、そのメールの内容に救われた気持ちがしたという。
「世界に認められたのかな、と思えたんです」
 実は、W杯終了後、山口の心には怒りにも似た悔しさだけが残っていた。

 2002年6月30日。日産スタジアムではブラジルとドイツの決勝が行なわれた。結果は、2−0でブラジルが勝利。サッカー王国が2大会ぶり5度目の王者となった。フィナーレを迎え、歓喜に沸くスタジアム内は、“スポーツの祭典”そのものだった。だが、山口はその余韻に浸ることはできなかった。数時間前の出来事が、彼の表情を曇らせていたのだ。

 事の発端は前日にあった。決勝前に行なわれたクロージング・セレモニーでは、女性シンガーのアナスタシアがテーマ曲を歌い、それに合わせてバックダンサーたちが踊ることになっていた。聞けば、バックダンサーたちはピッチの芝生の上で踊るという。それを伝え聞いた山口は「勘弁してくれ!」と声を荒げた。決勝で最高の舞台を作り出すために、なんとか芝生をいい状態にと丹念にメンテナンスを行なってきたのだ。その最も大事な試合の前に、ピッチを荒らされることはグリーンキーパーとしては絶対に避けたかったのである。

 一見、喧嘩ともとれる交渉の末に、バックダンサーはピッチの外で踊ることが了承され、リハーサルもその通りに行なわれた。ところが、である。翌日の本番、バックダンサーたちは遠慮のかけらもなくドカドカとピッチに入り、激しいダンスを繰り広げたのだ。
「えっ!? ウソだろ! 昨日のリハーサルはいったい……」
 山口は目の前で繰り広げられた光景に、目を丸くした。
「約束が違うじゃないか!」
 いくら怒鳴ったところで、もうどうすることもできなかった。

 数時間後、決勝を終え、4年に1度のサッカーの祭典が終わりを告げた。その時、山口にあったのは達成感ではなく、脱力感だったという。怒りを無理やりに押し殺した末の感情だったのだろう。だからこそ、ブラジル選手の芝生への称賛の言葉は、山口の心に染みたのではないか。あれから10年。誰にも知られることのない舞台裏での闘いも、今では思い出のひとつとなっている。

 四季に適合させたピッチスタイル

 山口は東京農業大学卒業後、ゴルフ場のグリーンキーパーとして働き始めた。10年ほど経った頃、山口には「違う環境で自分を試してみたい」という気持ちが少しずつ芽生え始めていた。日産スタジアムへの転職の話は、そんな矢先のことだった。大学の同級生であり、卒業後も同じゴルフ場に勤めていた柴田智之の誘いを受け、山口は日産スタジアムの職員となった。

 当時、3年後にW杯を控えた日産スタジアムは、開催の認知拡大のために毎週のようにイベントを行なっていた。そのため、芝生は荒れ放題。山口が見た芝生は“瀕死の状態”だったという。10年以上もゴルフ場で芝生のメンテナンスをしてきた山口だが、ゴルフ場とはまるで違う環境のスタジアムでのメンテナンスは、一からの手さぐり状態。Jリーグの規定通り「常緑の状態を保つ」には困難を極めた。

(写真:青々と茂る“夏芝”と茶色く枯れた“冬芝”)
 芝生には主に2種類ある。暑さに強い暖地型の“夏芝”と、寒さに強い寒地型の“冬芝”だ。諸外国では、自国の気候に合った芝を選択するが、四季があり、多雨多湿である日本の気候は、もともと芝生を育てるには向いていないのだという。だが、その日本でも常緑を保たせる方法が2つある。ひとつは、夏芝と冬芝の併用。もうひとつは、数種類の冬芝の混合である。

 日産スタジアムでは、国立競技場同様に夏芝と冬芝の併用が採用されている。夏芝は春から夏にかけて青々とした葉を生やす。だが、秋から冬にかけて気温が低くなると、枯れてしまう。そこで秋、夏芝が枯れる前に冬芝の種を蒔く。冬に向かって茶色く変色し、枯れていく夏芝と入れ替わるようにして、冬芝がグングン成長していく。もともと牧草を改良してつくられた冬芝の葉は長く、枯れた夏芝を覆い隠してくれるのだ。一方、夏芝はというと、土の中で根が休眠状態に入る。そして春から夏にかけて枯れていく冬芝とバトンタッチして再び葉を伸ばしていく。こうして夏芝と冬芝が役割をシェアし、1年を通して常緑の状態を演出しているのだ。

 芝生の気持ちを知る“観察力”

 芝生の生育に必要なのは、光合成のための太陽光、水分、養分、そして風通しの良い環境である。だが、自然の中にむき出しとなっているゴルフ場や公園のグラウンドとは異なり、日産スタジアムのようにスタンドと屋根に囲まれたスタジアム内のグラウンドは芝生にとって恵まれた環境とはとても言えない。まず、日照時間が少ない。山口によれば、普通の公園の芝生が8時間以上、太陽の光を浴びる一方、スタジアム内の芝生は多くて6時間だという。日陰になりやすい部分はそれ以下である。たとえ2、3時間でも、芝生の生育には大きな差となる。また、周りが囲まれているため、風通しの面も課題となっている。

 こうしたスタジアムならではの環境に加え、日産スタジアムにはもうひとつ課題がある。それは人工地盤の上に建てられているという点だ。日産スタジアムのすぐ脇には全長42.5メートルの鶴見川が流れている。この鶴見川は大雨が降ると氾濫し、洪水被害をもたらしてきた。その対策の一環として周囲には氾濫した水を貯めるための遊水地がつくられている。そのひとつが新横浜公園だ。普段は野球場やテニスコート、多目的広場などに使われているが、川が増水した際には地下の部分に水が流れ込むような構造になっている。新横浜公園の一部である日産スタジアムも、柱状の人工地盤の上にグラウンドがつくられ、地下の駐車場に水が貯められるようになっている。グラウンドの下が空洞になっているため、ただでさえ日照時間が少ないうえに、土壌が下から冷やされてしまうのだ。芝生にはあまりにも過酷な環境である。
(写真:スタジアムの模型。洪水時に水を流れ込ませるために柱状になっている人工地盤は土壌の温もりを逃してしまう)

 だが、山口が99年に転職した際には“瀕死の状態”だった芝生は、今では国内随一のピッチと称賛されるまでに至っている。それは山口たちの懸命な努力の積み重ねによってもたらされたものだ。山口はグリーンキーパーにとって、最も重要なことは“観察”だという。
「芝生も生き物なんですよ。お腹も減るし、喉も乾く。病気にもなりますしね。でも、人間のように言葉に表すことはできない。だから、僕たちは芝生が今、何を欲しがっているのか、よく観察をして、芝生の気持ちを汲み取ってあげるんです。それが何よりも大事なんです」

 実は、山口には教訓となった苦い思い出がある。ゴルフ場のグリーンキーパーになりたての頃のことだ。18ホールすべてのグリーンの芝を管理していた山口は、毎日芝生の様子を見ていた。だが、ある時期、多忙で奥の3ホールの様子を2日間、見に行かなかった。すると3日ぶりに山口が3ホールを観に行くと、芝生は赤くなり始めていた。
「もう、その時には手遅れでした。結局、3ホールのグリーンはダメになってしまって、会社に大きな損害を与えてしまったんです。1日でも観察を怠ると、取り返しのつかないことになる。そのことを今も教訓にしています」
 たった1日の怠りが、364日の努力の積み重ねを水の泡と化してしまうのである。青々とした美しい芝生は、グリーンキーパーの絶え間ない努力の賜物にほかならない。

(後編につづく)

山口義彦(やまぐち・よしひこ)
1965年4月23日、東京都生まれ。東京農業大学卒業後、ゴルフ場のグリーンキーパーとなる。99年、日産スタジアムに転職し、3年後に控えた日韓W杯に向けてのピッチづくりに勤しむ。2002年6月、W杯の予選3試合と決勝が日産スタジアムで行なわれた。現在もより良質のピッチづくりへの試行錯誤が続けられている。

(文・写真/斎藤寿子)
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