昨年のロンドン五輪、シンクロナイズドスイミング日本代表はデュエット、チームともに5位という結果に終わった。正式種目となったロサンゼルス五輪以来、初めてメダルなしという事態に、今後への不安の声も少なくない。だが、日本のシンクロは今、大きな転換期を迎えている。そんな中、今回のロンドン五輪、日本代表は新たな挑戦をしていた。その挑戦を身体づくりの面からサポートしてきたひとりが、管理栄養士・花谷遊雲子である。
 従来、シンクロナイズドスイミングの代表選手にとって1日に必要な摂取カロリーは、4000〜5000キロカロリー、浮力も必要であることを考えられた体脂肪率は20〜22%とされてきた。そこには、日本の戦略があったのだ。小柄な日本人選手は、手足の長い外国人選手と比較すると、どうしても見劣りしてしまう。そこで、少しでも体積を増やそうと、大きな身体づくりが行なわれてきたのだ。輝かしい日本のシンクロの歴史は、こうした土台づくりも重要な役割を果たしてきた。

 だが、世界の潮流はパワフルさに加え、俊敏さや高さをより追求したパフォーマンスへと向かっている。世界の頂点に君臨するロシアを見れば一目瞭然だろう。そこで北京五輪後、1日に必要な摂取カロリーは3500キロカロリー前後、体脂肪率の目標値は16〜19%にまで落とし、従来とは異なるシャープな身体づくりに着手した。俊敏さとジャンプ力に必要な筋力のアップを求めたのだ。だが、その道のりは決して平たんではなかった。

 雰囲気づくりも仕事のひとつ

 2008年10月、ロンドン五輪に向けた代表選手が招集された。その中に五輪経験者は誰ひとりいなかった。食事に関する知識も乏しかったという。
「本当に大丈夫だろうか……」
 花谷がそう感じるのも無理はなかった。シンクロの練習は、1日およそ8時間にも及ぶ。その過酷な練習に耐え得るだけの身体づくりは絶対に欠かすことができない。ところが最初のうち、選手たちの中には3度の食事を取ることもままならない者もいた。花谷がアドバイスをした後や、合宿中はできても、家に帰ると、たちまち元の生活に戻ってしまうのだ。トレーニング同様、食事もまた、継続しなければ何の効果も生まれない。

 とはいえ、無理にやらせても身体は栄養を上手く消化・吸収しないのだという。
「食事はどういう気持ちで向き合うかが非常に重要なんです。栄養の消化・吸収を担っている腸は副交感神経とダイレクトにつながっていますので、強い緊張感やストレスなど、ネガティブな気持ちでは、消化吸収機能がうまく働かないんです。ですから、いかにリラックスして、前向きな気持ちで食べることができるか。そして『食べさせられている』ではなく『強くなるために必要』というような意識をもつことが重要です」

(写真:和やかな雰囲気の中で的確なアドバイスをする)
 そのため、花谷は練習の合間や食事の時には、選手の表情などを見て、積極的に声をかけ、雰囲気や意識づくりにも注力している。
「身体と心はつながっていますので、できるだけ気持ちよく食事ができるように、雰囲気づくりも管理栄養士である私の仕事です。例えば、練習で疲れていたり、思うようにいかずに落ち込んでいたりすると、食欲は下がります。それでも、選手たちは食べなければいけません。そんな時、少しでも前向きな気持ちで食事ができるように声をかけたりしています」

 だが、声かけひとつ間違えば、逆効果になる恐れもある。そのため、花谷は選手それぞれの性格や置かれた状況、その時の表情をよく見ながら言葉を選んでいる。さらに重要なのが、自分だけで判断しないということだという。

「例えば、周りから見て明らかに疲れた表情をしている選手がいたとします。もちろん、身体には疲労が蓄積されているのでしょうが、実は精神的には非常にいい追いこみができている場合もある。そんな時は『ちょっと、疲れているねぇ』なんていう優しい言葉よりも『いい練習ができているみたいだね!』と選手を乗せる言葉の方がいい。その方が食事に対しても意欲がわいてくる。だからこそ、普段からコーチやトレーナーの方との連携を密にして情報交換しておくことが大事なんです。いろいろな面から見て、チームや選手の状態を把握したうえで、声かけをするように心がけています」

 世界を知った選手の成長

「選手が自立し、自分でコンディションを整えられるようになること」
 これが管理栄養士である自分の使命だと、花谷は考えている。だが、前述したように新チーム発足当初、選手たちは自らの身体に対しての意識は薄かった。その理由のひとつは、五輪の舞台を知らないことにあったのかもしれない。もちろん、日本代表に選ばれたからには、世界の頂点を目指すのは当然である。だが、五輪経験者が一人もいない状況の中、「世界で勝つこと」の本当の意味を感じることは容易ではなかったはずだ。

 そんな中、あるひとりの選手が変化を見せた。もともと優れた身体能力の持ち主だったその選手は、ロンドン五輪では中心メンバーの一人として活躍されることが期待されていた。だが、チームのなかでもひときわ小柄な彼女は、食が細く、朝ご飯を食べるという習慣をつけることにも苦労を要していた。そのため、身体はなかなか大きくはならなかった。
「食べないと、厳しい練習に耐えられないよ」
 花谷は事あるごとにアドバイスをしたが、継続させることができずにいたのだ。

 花谷がその選手の変化に気づいたのは、新チームが発足して約1年後の09年7月、ローマで行なわれた世界水泳選手権からの帰国後のことだ。オフをはさんで行なわれた合宿初日、選手を前にレクチャーを始めようとしたその時だった。ふと見ると、あの細かった選手の身体が明らかに大きくなっていたのだ。聞けば、世界選手権から帰国後のオフ期間中も、きちんと3度の食事をバランスよく取るようにし、トレーニングも続けていたのだという。

「彼女は特に上半身が細かったのですが、ひと目見て、すぐに大きくなっていたのがわかりました。それまで合宿中も、疲労がたまるとご飯が食べられずに、よく体重が減ってしまっていたのですが、それ以降は安定するようになりましたね。見栄えも格段に良くなって、パフォーマンスにダイナミックさが出るようになりました。おそらく世界選手権で、世界を目の当たりにしたことが彼女を本気にさせたのだと思います」

 毎日の習慣から得たタフさ

 ひとりの選手の変化は、チームにもいい影響をもたらした。昨年4月のロンドン五輪最終予選、日本は3位までに入らなければロサンゼルス大会以降続いていた連続出場が途絶える、という崖っぷちに立たされていた。選手にとっては初めての五輪予選。大きなプレッシャーが襲いかかっていたことは想像に難くない。監督やコーチ、スタッフは緊張のあまり、本番前に準備された焼き肉弁当をひと口も食べることができなかったという。ところが、当の選手たちは全員、きれいにたいらげてしまったというのだ。それを伝え聞いた花谷は、これまでの選手たちの努力が、実になっていることを改めて感じた。
(写真:普段から体重と体脂肪率の変化をチェック。選手自身への食事とコンディショニングの意識づけが行なわれている)

「選手たちは、どんなに厳しい練習の日にも、しっかり食べる習慣がついていたからこそ、あの緊張の場面でも焼き肉弁当を食べられるタフさがあったんだと思います。日々の食経験の賜物ですよね。他のスタッフからも『花谷さん、選手たち、たくましすぎますよ!』と言われました(笑)」

 果たして、日本は3位に入った。テクニカル・ルーティンで同じ3位に並んでいたウクライナをフリー・ルーティンで上回るという、熾烈な争いの末に勝ちとったロンドンへの切符だった。新チーム発足直後には、想像すらできなかった選手たちのたくましさに、花谷は大きな成長を感じ取っていた。

(後編へつづく)

花谷遊雲子(はなたに・ゆうこ)
茨城県出身。管理栄養士。京都府立大学大学院食生活科学専攻課程修了。4年間の茨城県保健所勤務を経て、2000年にフリーに転身し、アスリートのサポートに携わる。01年より国立スポーツ科学センタースポーツ医学研究部栄養指導室に勤め、五輪を目指すアスリートたちの栄養管理を手掛ける。05年よりシンクロナイズドスイミング日本代表管理栄養士となり、現在に至る。10年よりパーソナルトレーニングジムBODY TIPS(渋谷区)で一般向けのカウンセリングも行なっている。

(文/斎藤寿子)
◎バックナンバーはこちらから