「大学レベルでは突出している。国際レベルの選手として、今後の進歩を興味深く見守っていきたい」
 日本代表を率いるエディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)が、そう名前をあげて期待を寄せる選手がいる。帝京大学ラグビー部のSO中村亮土だ。先の大学選手権で史上初の4連覇を達成した原動力となった3年生である。このほど発表された日本代表メンバーにも名を連ねた。
「プレーの道筋が見える」

「ゲームを安定させる能力がある」と帝京大の岩出雅之監督は評する。味方を生かし、攻撃を組み立てるパスはもちろん、相手の守りのギャップを突く突破力もある。もちろん得点につながるキックも正確だ。守りでもしっかり体を張り、相手の侵入を許さない。
「前半、後半と試合を通じたマネジメントができる。ゲーム全体を俯瞰しながらプレーしていますね」
 指揮官も全幅の信頼を置く司令塔だ。

 大学選手権で優勝を重ねる王者において、2年時よりレギュラーとなった。強いチーム内でもまれ、「昨年あたりから、ここでパスをもらえば、ここでパスを出せば、という道筋が見えるようになりました」と本人も明かす。何十手先まで読み、駒を動かす棋士のごとく、相手の出方を先読みし、それを上回るプレーをみせる。

 たとえば4連覇を決めた1月の筑波大との大学選手権決勝。前半6分に中村はパスを出すと見せかけて巧みに中央突破し、右サイドへボールをつないでチャンスをつくる。筑波大も必死の防戦をみせたものの、最後は再び中村からCTB荒井基植、WTB磯田泰成とつながり、前半8分に先制トライが生まれた。

 前半19分には自陣でのマイボールスクラムから展開すると、今度は荒井が中央突破。さらに左へ展開してゴール手前まで侵入すると、中村は筑波大の守りが偏ったスキを見逃さなかった。相手が手薄なゴール前中央でボールを受け、そのままトライ。大きく点差を広げ、前半で主導権を奪ったことが帝京大の勝因となった。
「僕はたいしたプレーはしていないですよ。全員がつないでくれた結果。4年生が体を張ってくれたおかげで、BKが自由に動けたのだと思います」
 そう本人は謙遜するが、背番号10は赤いジャージの中でも目立っていた。

 社会人相手となった日本選手権でも中村のプレーは光った。トップリーグ3位の強豪、パナソニック・ワイルドナイツとの2回戦。立ち上がりから帝京大は連続トライを許し、0−19と苦しい試合となった。反撃の口火を切ったのは中村のキックだ。27分、相手の裏へボールを蹴り出すと、それに呼応してCTB権裕人が抜け出す。攻撃のスイッチが入った帝京は一気に敵陣に襲いかかり、最後は荒井がインゴールに飛び込んだ。 
「相手のスペースはどこが空いているのか、どこで相手のミスマッチが起こっているのかは常に見ていますね」
 試合には敗れたものの、中村の広い視野がトップリーグの4強相手に一矢を報いた。

 成長支える前向き思考

 ピッチでは、そのプレーぶりもあってか大きく映えるが、実際の身長は178センチ。「意外と大きくないですね、とよく言われます」と本人も笑うように、ラガーマンとしては決して大柄ではない。ラグビーを始めたのは高校(鹿児島実)に入ってから。それから楕円のボールとともに過ごした期間はわずか6年だ。大学でも最初は「きちっとした選手だったが、飛び抜けた存在ではなかった」(岩出監督)という青年がジャパンの将来を背負う逸材になれたのはなぜか。

 それは「マイナスのことは一切、考えない」という超・前向き思考だ。
「たとえば失敗して落ち込むヤツがいますけど、僕はこう考えます。“次にこれができれば、自分のためになる”って」
 ラグビーはもちろん、プライベートでも気持ちが後ろ向きになったことは記憶にない。「ただ、能天気なだけかもしれませんけど」と本人は笑顔を見せるが、このメンタルの強さも彼の大きな武器である。

 高校でラグビーを始めた時から「絶対にうまくなる」と信じて取り組んできた。中学まではサッカー少年。サッカーどころの鹿児島県だけに、幼稚園の頃から丸いボールを蹴っていた。FWとして前へ前へとグラウンドを駆け回り、ゴールを量産した。

 それが鹿児島実高ではラグビー部を選択する。
「父がラグビー好きだった影響もあって、“じゃあ、やってみようかな”と。最初は軽い気持ちで始めたんです」
 始めたばかりの頃はルールも詳しく分からず、楕円のボールの扱い方も知らなかった。だが、「サッカーに戻りたい」と思ったことは一度もなかった。

「グラウンドのサイズもほぼ同じですし、チームスポーツであることは変わりない。コミュニケーションをとってポジショニングをしっかりすることは、サッカーとは変わりがないと感じました」
 前向き思考で練習に励み、わずか1年でレギュラーに。2年時にはチームの主力になっていた。

 大学でも1年から公式戦に出場。2年でCTBのポジションをつかみ、3年時は試合をコントロールする役割を与えられた。そして、日本代表にも抜擢された。
「決して後退せず、少しずつ自分の舞台を広げてきました。それとともに自信をつけてきた。だから物事に対して前向きに努力し続けられるのでしょう」
 岩出は中村の着実な歩みを、そうとらえている。
(写真:川本聖哉) 

 新チームでは新4年生の話し合いにより、主将に就任した。チーム全体のテーマには「成長」を掲げる。
「去年は“努力し続ける”ことがテーマでした。去年を上回る努力をすることが、“成長”につながると思っています。それに成長することを考えていれば、マイナスの要素は一切なくなりますからね」
 プラスのことだけを念頭に置き、目標へ向かって本気で努力する。そうやって自分も今まで成長してきた。V5を目指すチームも一緒だと新主将は感じている。

 代表では「実力を示す」

 主将も務める大学での活動と並行し、昨春に続いて日本代表にも招集され、4月からの菅平合宿に臨む。最終学年のシーズンは一層、充実した日々となりそうだ。ただ、中村は主将としての責任を全うするため、当初、代表を辞退するつもりでいた。150人近い部員をまとめる立場としてチームを離れるわけにはいかないと思ったからだ。

 だから、主将就任を岩出に報告した際、「もし日本代表に選ばれたら、どうするんだ?」と尋ねられた際には、一度はこう答えた。
「チームに残ってキャプテンとしての役割を果たします」
 だが、岩出はその申し出を断った。
「もし選ばれたら、行ってこい。そして代表で勉強したことをチームに戻って伝えてほしい」

 岩出には、中村が主将としてチームをしっかり考えている姿勢が見られただけで十分だった。
「自分が代表に選ばれたら、さっさとチームを離れてしまうような選手であればリーダーは務まりません。もちろん、中村はそういう人間でないことは分かっていました。チームを思う気持ちがあれば、もう主将としての責任を果たしている。だから、彼自身が代表で経験を積んでくることがチームにとってもプラスになるんだという話をしました」

 昨春の初代表は本人も寝耳に水の話だった。岩出からメンバー入りを告げられた時には「えっ?」と目を丸くした。実際に合宿へ行くと、トップリーグから集まってきた先輩たちの“プロフェッショナル”な姿に、またも驚かされた。
「どの選手もラグビーに対して本当にひたむきでした。食事や体づくりの面から意識が違う。それを自分から進んでやっているところが素晴らしかったです」
 テクニックのみならず、練習に対する心構え、試合に臨むための準備……。学んだことはたくさんあった。

 それから1年、今度の代表入りは「実力を示す場」と考えている。
「昨年1年間、常にプレーを見られている意識でやっていましたし、実際に見ていただいた中で結果を出したからこそ、今回、選ばれたのだと思っています。まだまだ社会人の方々と比べたらレベルは低いかもしれませんが、自分の今持っている力をすべて出し切りたいと思っています」

 代表とはいえ、テストマッチの出場はまだない。だが、ジョーンズHCは4月のHSBCアジア五カ国対抗、5月からのIRBパシフィック・ネーションズカップの中で主力以外に出番を与えることを示唆している。代表内でのアピールに成功すれば、機会は巡ってくるはずだ。桜のジャージを身にまとい、ジャパンの中村としてデビューする時は確実に近づいている。

(後編につづく)

中村亮土(なかむら・りょうと)プロフィール>
1991年6月3日、鹿児島県生まれ。経済学部経営学科所属。ポジションはSO、CTB。中学時代まではサッカーに取り組み、鹿児島実高入学と同時にラグビーを始める。2年時、3年時にはSOとして2年連続の花園出場に導く。10年に帝京大へ進学。1年生ながら対抗戦の早大戦で公式戦デビューを果たす。2年時はCTBとしてチームの大学選手権3連覇に貢献。11年春には日本代表にも抜擢される。同年の大学選手権でも司令塔として大学選手権4連覇へチームを牽引。新チームでは主将に就任する。この2月、4月から始動する日本代表に再び選ばれた。身長178センチ、体重84キロ。

(石田洋之)
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