私はその時の気持ちを、おおよそ以下のような内容で本誌にも書いている。
――ミスターは普通のノッカーがそうするように右手でボールをトスしない。左手でトスし、素早くその手でグリップエンドを握るのだが、この時のトップの位置が恐ろしいほどピタリと決まるのだ。
 さらにスイングした瞬間、右肩から左腰にかけてユニホームに流線型のシワが寄る。このシワこそは動的な美しさのシンボルであり、まさにバットを振り抜いたその直後、私たちの目は背中の「3」に釘付けになる。
<この原稿は2001年10月25日号の『Number』(文藝春秋)増刊号に掲載されたものです>

 やっと謎が解けたような気がした。なぜ少年時代、かくも私たちは<背番号3>に憧れたのか。単に数字が格好よかったのではなく、動的な美しさのシンボルとして<背番号3>を私たちは網膜のスクリーンにやきつけ、引退と同時に、その美しい映像を記憶の引き出しにしまい込んだのである。

 躍動美の象徴――それこそがプレーヤー長嶋茂雄の実像であり、<背番号3>の正体だった。逆説的に言えば、監督としての長嶋茂雄には何の魅力もなく、<背番号90>も<背番号33>も、記号としての意味をこえるものではなかった。

 そのことを理解するのに、私は膨大な時間を費やした。宮崎にやって来なければ「長嶋茂雄とは何か」という命題に対する解を得ることはできなかったであろう。ユニホームに刻まれた流線型のシワは、もちろん長嶋茂雄の貴重な断片であった。

 ノックも終わりに近づいた頃、長嶋茂雄は火の出るようなライナーを三塁線上に放った。打球は江藤智のグラブをかすめ、ファウルグラウンドに転がった。

 その瞬間、ミスターのカン高い声が南国の空にひときわ高く響きわたった。
「捕ってくれよ、今のは。あの角度の打球は2度と打てないんだよ」

 品のある打球――長嶋茂雄は、当時は、そんな言葉をしきりに使っていた。

 打球にとって美とは何か――。

 実はそれこそが長嶋茂雄にとっては「永久」にして「不滅」のテーマだったのである。
 長嶋茂雄が常日頃、脳裡に描いていた理想のベースボールシーンが、わずかながら垣間見えた。

 会心のスピンをかけて打球が絶妙の角度でホットコーナーを襲う。それを三塁手が横っ飛びで好捕し、グラブの中におさめる。さもなくば小さくはじいた打球を素早く処理し、矢のようなボールを一塁に送る。アウトかセーフか! こうしたスリリングなシーンを、長嶋茂雄は本能的に愛した。私たちはそれを盲目的に支持した。長嶋茂雄が私たちととりかわした契約書の要項はこの1点のみにあり、1度も債務不履行に陥ることはなかった。

 この日、長嶋茂雄が江藤智に打った223本のノックの中には、明らかな打ち損じもあった。打球の角度がイメージ通りに描けないと、ミスターは苛立ったような視線をバットに向けた。それは孤高の陶芸家が、気に入らない作品を叩き壊す時のそれと似ていた。

 その姿を早春の西日が惜しげもなく南国の黒土の上に写し出していた。
 それは長嶋茂雄が私たちに最後に与えてくれたぜいたくにして感傷的な時間だった。

「大切なのは4打席目ですね」

 いつだったか、長嶋茂雄は私にそう語ったことがある。
 一流と超一流を隔てる分水嶺は4打席目の内容にある、ともミスターは言った。

 終盤、チャンスの場面での打席なら、誰でも力が入る。ここで打てば誰だってヒーローになれる。しかし、大量リードを奪われ、ゲームの行方があらかた決して場面で、それまでと変わらぬ情熱をバットに伝えることはできるだろうか。ミスターはここでも観客との契約を、きちんと履行した。スタジアムで、ひとりでも自らの打席を楽しみにしている者がいたら、そのひとりのために最大限のパフォーマンスを提供した。

「たとえ4打数ノーヒットに終わったとしても、価値のあるノーヒットというものがあるんですよ」
 長嶋茂雄はそう続けた。

 天才の名をほしいままにしたミスターであっても、ノーヒットのまま終わることは珍しくない。しかし、ミスターは三振するにしても帽子を飛ばすほどの豪快なスイングを心がけ、たとえ凡ゴロであっても全力でファーストベースを駆け抜けた。観客はそんな姿に胸を打たれ、惜しみない拍手をおくり続けたのである。

「バッターの価値はアウトの美しさで決まるということですか?」
 そう水を向けると、ミスターはとび色の瞳をこちらに向けて、深くうなずいた。

 アウトであれ、三振であれ、エラーであれ、長嶋茂雄にこちらの期待を裏切るプレーはひとつとしてなかった。すべてのプレーが砂金のようにキラキラと輝いていた。長嶋茂雄はユニホームを身にまとった発光体であった。今にしても思う。スタジアムの熱狂と緊迫がその光源になっていたのではないか……。

 だが、幸せな関係にも終わりはある。無期限と思われていた長嶋茂雄と私たちの契約書にこの秋、ピリオドが打たれた。

 今日から長嶋茂雄は誰のものでもない。
 ひとり彼だけのものである。

(おわり)
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