桃から生まれた「桃太郎」ほど日本人に愛され、親しまれているおとぎ話は他にあるまい。道中で遭遇したイヌ、サル、キジを従え鬼ケ島に鬼退治に行き、颯爽と宝物を持ち帰る。絵に描いたような勧善懲悪の物語である。
 ところが福澤諭吉にかかれば、もうケチョンケチョンである。『ひゞのをしへ』には<桃太郎が鬼ケ島に行ったのは宝を獲りに行くためと言える。けしからんことではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である>とある。

 大正13年に書かれた芥川龍之介の短編『桃太郎』は、さらにシニカルだ。ただ宝物があるという理由だけで<罪のない>鬼たちが住む絶海の孤島にまで進軍し、乱暴狼藉の限りを尽くす。鬼ケ島に渡ったのは<お爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである>などというくだりもあり、徹頭徹尾、アンチ桃太郎だ。

 かつてはプロレスの世界も勧善懲悪だった。1954年2月、蔵前国技館で行なわれたシャープ兄弟との対決には、力道山見たさに2万人の観衆が新橋駅前の広場を埋め尽くした。広場には街頭テレビが設置されてあった。試合のハイライトは力道山の空手チョップ。正義の制裁だった。

 アントニオ猪木のプロレスをして「過激なプロレス」と評した作家の村松友視が、昔、シャープ兄弟は正統派のレスラーで力道山が突然、怒り出すのは無理があった、と何かで書いていたことを思い出す。それでも群衆が熱狂したのは、シャープ兄弟に「鬼畜米英」の残影を見ていたからだろう。

 力道山が空手チョップなら後継者のジャイアント馬場は耳そぎチョップだ。何とも殺伐とした名称だが、ブッチャーなど悪党の反則攻撃に耐え、我慢ならんとばかりに繰り出すから説得力があった。

 そして、さる11日に引退試合を行った小橋建太。打ちも打ったり鉄人チョップ185発。耐える方もつらいが、打つ方もつらい。みみず腫れの胸がリアリズムを刻む。鬼も極悪非道のヒールもいない平成のリングにあって、自らの身を削るようにして独自のハードボイルドを追求した小橋の「過剰なプロレス」はひとつの到達点だったと言えるのではないか。マット史に残るレスラーであることは間違いない。

<この原稿は13年5月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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