この15日で20歳となったJリーグを実力面でリードしてきたクラブは、鹿島アントラーズだ。これまで獲得した主要タイトル16冠はJクラブ史上最多である。初のJリーグ王座に輝いたのが、96年。ブラジル代表のアメリカW杯優勝にも貢献したレオナルド、ジョルジーニョを擁して、頂点に立った。特にレオナルドのテクニックは異彩を放ち、95年の横浜フリューゲルス戦でのボレーシュートは観る者に衝撃を与えた。リフティングで完全に相手を翻弄して決めた得点は、Jリーグが17日に発表したベストゴールでも1位に輝いた。鹿島が迎える黄金期の旗頭となったブラジル人助っ人を、18年前の原稿で紹介する。
<この原稿は1995年9月の『月刊現代』に掲載されたものです>

 最終節まで、もつれ込んだJリーグファーストステージは、“万年優勝候補”といわれ続けた横浜マリノスの初優勝で幕を閉じた。7月22日、鹿島アントラーズをホームグラウンドの三ツ沢競技場に迎えたマリノスは90分間のかなりの部分を防戦に費やす苦しい戦いを強いられたものの、前半12分、メディナベージョが右足アウトにかけてゴール右に突き刺した芸術的な先制点をかろうじて守り切り、悲願をとげた。

 しかし、この現役アルゼンチン代表のシュートと、それを演出したビスコンティとの鮮やかなパス交換を除いては、記憶に残るような素晴らしいプレーや、鳥肌が立つようなシーンはひとつもなかった。マリノスが披露したリアクション・サッカーは、勝利に直結する方法として最良のものであったが、観る側からすれば退屈きわまりないシロモノでもあった。

 試合後、川淵三郎チェアマンは「試合内容がどうのこうのは別にして、横浜マリノスには心からおめでとうと言いたい」と感想を述べた。あえて試合内容に言及しなかったのは内容そのものに不満を感じていたからではないのか。あるいは「歓喜一色のムードに水を差したくない」との配慮が働いたのかもしれない。

 3年目を迎えたJリーグ、最も魅力あふれるサッカーを展開したのは、優勝したマリノスでも、前年の王者・ヴェルディ川崎でもなく、最終的には8位に終わった鹿島アントラーズだった。もっともこれには、「現役ブラジル代表のレオナルドとジョルジーニョが左右両サイドに揃っていた時の」という但し書きが必要となる。この2人をウェンブリーでのインターナショナル・チャレンジ、コパ・アメリカのために欠いてからのアントラーズのサッカーには、これといって見るべきものはなく、戦績も急カーブを描いて落ちていった。

 参考までにいえば、2人が欠場する以前のアントラーズは、12勝5敗、勝ち点36の2位。ところが欠場以降は2勝7敗、と、並以下のチームに成り下がってしまった。数字の明暗はこの2人の存在がいかに偉大であるかを雄弁に語っている。

 レオナルドとジョルジーニョ――。去年、アメリカで行なわれたワールドカップで王国ブラジルが24年ぶりの優勝を果たしたことは記憶に新しい。その原動力となったのが、彼ら両サイドバックの攻撃力だった。

 ライトバックのジョルジーニョは、どの試合でもアクセルを目一杯吹かせて右サイドを駆け上がり、その余勢を駆って何度も相手ペナルティエリアを蹂躙した。ドリブル突破良し、センタリングの精度良し。守備も堅実で相手アタッカーにボールを持たせても、決定的な場面はすべて未然に防いでいた。

 対アメリカ戦で退場処分を受け、準決勝、決勝には出られなかったものの、レフトバックのレオナルドはサイドバックの仕事に革命をもたらした。タッチラインを駆け上がるだけでなく、ペナルティエリア付近に切り込んでゲームメイクまで難なくこなしてみせた。

 サイドバックが対面の相手サイドバックを牽制し合うのはいまやモダンサッカーの常識だが、状況に応じてゲームメイクまで担当できる能力がなければ、もはやワールドクラスとは呼ばれない。レオナルドの出現はサイドバックが「香車」から「竜王」の時代に入ったことを告げるものだった。

 この超ワールドクラスとでもいうべき2人のサイドバックを、アントラーズのエドゥ(ジーコの実兄)は中盤に起用した。彼らの傑出したテクニックを攻撃にいかさなければもったいない、と判断したためである。

 事実、この2人のどちらかがボールを持てば、必ず何かが起きた。フィールドの錬金術師さながらに、生きたボールを、味方アタッカーに寸分の狂いもなく供給し続けた。彼らの行なっているサッカーと、日本人のそれは明らかに似て非なるものであり、共通項を探すことすら難しいように感じられた。

 アントラーズの司教ジーコが王国から送り込んだ2人の宣教師は、サッカーの面白さを伝えると同時に彼我の差異を残酷なまでに浮き彫りにした。彼らが好意的であればあるほど我々はみじめになり、居心地のいいモラトリアムの世界からの脱出をためらわせすらした。

「実はぼくはマルディーニを世界最高のレフトバックとは思っていない。彼は世界で2番目でしょう。ナンバーワンはブラジルのレオナルドです」

 昨年、ワールドカップ直前のインタビューで、日本最高のレフトバック都並敏史(ヴェルディ)はそう喝破した。ワールドカップが始まる前、世界最強のレフトバックは、リベロのフランコ・バレージとともにカテナチオ(堅守の意味)を指揮するイタリアのパオロ・マルディーニだと言われていた。

 しかし、いざフタを開けてみると、都並の指摘が的中した。マルディーニはこと守備の面では100パーセントの才能を発揮したが、攻撃の面ではレオナルドに遠く及ばなかった。

(中編につづく)
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